YasujiOshiba

マウス・オブ・マッドネスのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

マウス・オブ・マッドネス(1994年製作の映画)
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ジョン・カーペンターの「世界の終わり三部作」のひとつ。たしかに世界の終わりを描いてはいるが、面白いのは終わり方。このアイデアの由来は、もちろん脚本を書いたのマイケル・デ・ルーカ。生まれは NY のブルックリンで、母はドイツ系のユダヤ人、父はイタリア系のカソリックというニューヨーカー。ぼくはニューヨークに行ったことなんてないけれど、こういう才能が生まれる街だというのはわかる。それはたとえばマーティン・スコルセーゼとかだったりするんだけど、デ・ルーカはぼくの世代にぐっと近いんだよな。

ストーリーのアイデアは、すごく思弁的というか、SF的なんだけど、表面的には、H.P.ラヴクラフト(1890-1937)という怪奇小説家へのオマージュということなのだろう。でも、ラブクラフト自体は、ちょうど日本の夢野 久作(1889-1936)と時代的に重なる人。おそらく、19世紀的な怪奇文学の果実を存分に貪りながら登場した作家で、この映画の脚本家デ・ルーカは、そういう鉱脈を掘り出してみせたということなのだろう。

ぼくなんかの感じでは、鍵となるのはセルフ・リフェレンシャルな物語。自己言及的ってことなんだけど、鏡に写る自らの姿を見るのがそうであるように、そういう語りはつねに循環的迷宮に入り込んでしまうわけ。

この映画のなかでも、同じシーンがなんども繰り返されるけど、その繰り返しを退屈させることなく、最後にはうまい出口を用意しておくこと、それがこの種の映画の成功の鍵。フェリーニの『8 1/2』なんてのも、同じ系譜に入れて良いかもしれない。映画を作る映画監督についての映画を作る映画監督についての苦悩、そんな話だったからね。

この映画の原題は『 In the mouth of madness』(狂気の口の中へ)ということだけど、それは一方でH.P.ラヴクラフトの作品(At the mountain of madness)へのオマージュのはずだけど、イタリア語を勉強していると、どうしても「In bocca al lupo (In the mouth of wolf) 」という表現を思い出してしまう。

これは誰かが、試験とか、舞台とかのような困難に挑戦しようとするとき、「がんばって」という意味で使う表現。ようするに「狼の口のなかへ(飛び込め)」という意味なのだけど、これだけでは意味をなさない。こう言われた人は必ず「Crepi il lupo (くたばれオオカミ)」と返すことになっている。こうして符牒を合わせるとこで、困難を乗り越えて頑張ろうぜという祈願が成立することになる。

なんてことを考えると、この『狂気の口のなかへ』というタイトルは、一種の呼びかけとして、ぼくたち観客の側から「狂気よクタバレ」という符牒を返されてることが期待されてものなのではなかろうか。いや、きっとそうに違いない。

ぼくは今宵、昨日は寝落ちして見逃してしまったラストシーンに、サム・ニールの狂気の哄笑を聞きながら、世紀末を超えて生き残る映画の未来を見たような気がしているのだ。

パチパチパチ!
YasujiOshiba

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