前半は、ルークスカイウォーカーやスカーレット、オズ、ハリーポッターといった数々の映画英雄、また古くから神話に共通する物語、
①別離 ②通過儀礼 ③帰還
が実は私たちの物語でもあることを説く。
促された流れに身を委ねることを拒み、主体的でありたい。
必ずしも芸術で生計を立てるということじゃない、どんな仕事でも。
刷り込みによって子供は弱められているという。特に日本人って自分で考えなさすぎじゃない?自戒も含めて…どうして自分は何も行動しないで事態が収束するのを待つだけで、他人が戦って勝ち得た権利が当然自分にも適用されると思うのか?
自分の好きなことをこそ頑張り続けるのは辛いから、つい挑戦しない道を選んでしまうよね。
わかってる、わかってるんだよー
61日目のワニも言ってたじゃないですか
"やりたいこととかないの?"
"ないですねー"
"じゃあ何にでもなれるとしたら?"
"…プロゲーマーかな"
"あんじゃん!うけるー"
それだよそれ!
子役が演じる英雄のイメージパート。
自分は間もなくアラサーで、新しく何かを成し遂げるのは難しいとしても、我が子の可能性を摘むことはさせまい、と思いかける。
そんな自分に響いたのは後半の話
"英雄が持って帰るものはストーリーだ。
ギルガメシュの叙事詩で、彼は不死の植物を探しに出かける。
様々な試練を乗り越え、ついに海の底に潜り不死の植物を手に入れる。
彼は岸に上がり、不死の植物を置いて体を洗っていると、蛇がやってきて不死の植物を食べてしまう。
それでも故郷に戻り、彼には皆に話す物語が残っていた。
ギルガメシュにとって社会に還元するものは、物質的なものではなかった。宝を手に入れる物語、それが宝だったのだ。
物語とは、同じような旅に他の人を誘う招待状だ。
それは円を描いている限り、終わりがない。"
この部分に大納得。
自分を生きないことの言い訳に、子供や家庭や生活を持ち出してはいけない。
むしろ、自分でもできてない生き方を子に求める前に、示さなければならない。
私が語れるストーリーは何があるだろうか?衣食住と他人の夢話しか与えられない親なんて最低限どころかくそくだらなすぎるぜ
"サイクルは閉じる必要があって、閉じる方法が戻ってくるということ。"
という言葉にも、種としての、また家族の一員としての、命の責任や使命を感じる。
"人生で光栄なことは、自分自身であることだ。"