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誰のせいでもない(2015年製作の映画)
3.7
 しんしんと雪が降るカナダ・ケベック州。男は何か物音を感じ取り目覚めると、クタクタになった手帳に何かを書き留める。外はもう昼間の光を放ち、男は釣り糸を垂れる老人たちに昼の挨拶をする。おんぼろのあばら家は老人たちが釣りをする湖面のすぐそばにあるから、さながら氷上に浮かぶ家だ。小説家のトマス(ジェームズ・フランコ)は恋人のサラ(レイチェル・マクアダムス)と暮らす家とは別に、仕事場としてここに部屋を借りていた。恋人は彼を急かすように、度々携帯電話で小説の進捗状況を確認するがトマスの仕事は遅々として進まない。ヴェンダースの過去作品と同じように、今作でもトマスは極度のスランプに陥っている。それはじっとしていても解決する様子もなく、男は愛車のエンジンをかける。ケベック州の田舎町の荒涼とした街並みは白い雪に覆われ、どこまで走っても真っ白な白昼夢のような世界を描いている。男はその景色に吸い込まれるように目的地もないドライブを続けるが、恋人に会いたいサラからの着信に心底鬱陶しい表情を浮かべた男は、BGMのボリュームを上げる。それからどれくらい走っただろうか?降り続く雪に視界を遮られながら、白い雪に招かれた夢遊病者の彷徨は思わぬ形で終止符を打つのだ。彼の車体の前に滑り込む赤いソリ。一瞬で青ざめた男はフロントに回り込むとそこには、すんでのところで坊やが座っていた。

 ヴェンダースのおよそ7年ぶりの劇映画は、極度のスランプに陥ったトマスのまさかの事故を契機に、事故の被害者と加害者、それにトマスを見つめる第三者の人生が思いもよらぬ方向へと流転し始める。それはゆっくりとハンドルを切るかのごとく散漫な動きだが決してスロー・モーションではない。雪の軽さの中で鈍重な動きをする愛車に乗っかるトマスは、スピードを失ったまどろみの中を生きている。『都会のアリス』や『パレルモ・シューティング』同様に、今作の主人公も夢遊病的な病を抱え、地に足の着いた人生を送ることがない。男の価値観が違い過ぎるという酷く形式的な言い分は年頃の女性を酷く怒らせるし、それ自体が離別の原因ともなり得るものだが、2年後の作家の行方は思わぬ成功曲線を描いている。父になりたくない男は坊やを事故で葬ったことで皮肉にも小説家として成功を収め、お腹を痛めて授かった大切な息子を失ったばかりのケイト(シャルロット・ゲンズブール)は絵描きとしての方向性を奪われていく。男は壮絶な事故を生き方の糧としただけではなく、小説の題材として用いることで別の何かに転用するのだ。それを『ベルリン・天使の詩』の守護天使はどのような目で見つめただろうか?事故で人を死なせた男はその後天啓を得る形で世に出て行き、その背中を歪んだ瞳で少年の妄執が見つめる。ヴェンダース初の3D映画な上に、その語り口もやや冗長な印象は受けるが(この内容なら90分程度が丁度良い)、プログラム・ピクチュアの定型からあえて横道に逸れるヴェンダースのデカダンスにしばし浸る。
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