YasujiOshiba

ルイの9番目の人生のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ルイの9番目の人生(2015年製作の映画)
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ネトフリ。楽しめました。やっぱり映画は予備知識なしで見るに限る。監督のアレクサンドル・アジャの名前からヒットしたこれを即クリック。悩んでいると夜が明けてしまうから。

リズ・ジェンセンの原作はソフトバンク文庫から『ルイの九番目の命』として2006年に出てるのね。ちょっと読んでみたくなったので、こちらもクリック。

サラ・ガドンがよい。美しい笑いのなかに毒が潜んでいるのだけど、その毒のありかが本ものの母性であるという危うい魅力をみごとに体現。彼女が息子のルイを、そして男たちを斜めに見つめる瞳の美しさが実に映画的。なにしろ、サラという名前、語源的にはヘブライ語の Sarahは「王妃」の意味だというしね。

彼女の息子ルイを演じた12歳のエイダン・ロングワースの、甘い瞳もよい。生意気な口の聞き方をしながらも、その背後に隠された闇を、その瞳の甘さがあるから、ぼくたちに読み込ませてくれるわけだ。

それにしても人間というのはややこしい。なにしろ「疾病利得」ってやつが存在してしまうのだから。病気にはなりたくないけれど、病気になることで得をすることだってある。ところが、そこに甘い誘惑が立ち上がるのだ。

映画のセリフにも登場する「ミュンヒハウゼン症候群」というやつは、なんだか僕たち人間が、本質的に「欠落」をかかえた動物であることを証明しているようでありながら、同時に、その「欠落」こそが他の動物と区別される、ぼくらの種の強みでもあるってことなのだろう。

なにしろ、ミュンヒハウゼンとは「ホラ吹き男爵」のこと。ホラ吹きをファンタジアと言い換えてみれば、、映画なんてホラ吹きそのものではないか。「チネマ・アントロポモルフィコ」と言ったヴィスコンティではないけれど、この映画もまた、実に「人間の形をした」(アントロポモリフィコ)作品として「ミュンヒハウゼン」的なものなんだよね。

それでもアレクサンドル・アジャ監督、最後の最後に閉塞から抜け出る道をいつだって用意してくれている。ラストシーンのことだ。あれが原作通りだとしても、この監督の作風とみごとに響き合いながら、酸素がきれかかっていた肺にようやく新鮮な空気を送り込まれるその瞬間の感覚を、きっちり味あわせてくれた。

どこまでも悲しいミュンヒハウゼン症候群ならびに代理ミュンヒハウゼン症候群の闇に、その当のミュンヒハウゼン男爵(ホラ吹き男爵)の権化たる映画が、悲しい闇の向こう側から一条の光を届ける窓を開く。そんな作品でしたね。
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