Filmoja

トイ・ストーリー4のFilmojaのレビュー・感想・評価

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
4.5
我が家には6歳の娘がいて、部屋にはこれまでプレゼントした(された)おもちゃやぬいぐるみが、収まりきれないほどたくさんの場所をとっている。それこそ、何がどこにあるのかわからないほど。
時々、勝手にどこかにいなくなって、忘れた頃にひょっこり出てきたりもする。

そうだ、自分が子どもの頃もそんな感じだったな。あんなに夢中になって遊んでたのに、ある日突然、興味を失って、どこかにしまわれるか、捨てられるか、別の誰かに引き取られるか…。

あのおもちゃたちは今、どうしてるだろう。
もっと大切にしてあげれば良かったな。古くなったり、壊れたり、いつかは必要とされなくなり、役目を終えれば忘れ去られる。
そして再び日の目を見ることはない…。


「トイ・ストーリー」は、そんなおもちゃたちの概念に一石を投じる冒険的なシリーズであり、今作は前作での“完璧なラスト”に続く“語るべきエピローグ”にふさわしい、ちょっぴりほろ苦くも希望に満ち溢れた完結編だ。

あらゆる意味で革新的だったピクサーのルーツとも言える、おもちゃたちが意志を持ち、ウッディとバズの出会いと友情を描いた一作目から、ウッディの出自(価値)が明かされ、人間の欲深さから子どもたちの夢を壊すまいと、ウッディと仲間たちが奮闘する「2」、そして子どもの成長とともに遊び相手(お世話係り)としての役目を終え、おもちゃ同士の価値観の対立をスリル抜群に描写しながら、それでも持ち主アンディとの絆を信じ、切ない別れと新たな出会いをドラマチックに描ききった「3」。

これ以上、求めるべくもない完璧な作品に続編は必要なのか?
クオリティーによっては蛇足にもなってしまう、これまで愛されてきたシリーズを、相当なプレッシャーをはねのけて製作した今作が初監督のジョシュ・クーリー。
結論から言えば、本作は必要な物語だった。
少なくともウッディにとっては。

そのカギを握るのはアンディの妹モリーの部屋にあったランプの陶器人形、ボー・ピープ。
2作目まで登場するも、前作に登場しなかった理由が明かされ、今作での再会が“新たな価値観との出会い”として描かれるのは象徴的だし、そのことによって傷心のウッディの心境に戸惑いや変化が生まれるのが手に取るように伝わってくる。

「シュガーラッシュ オンライン」でも描かれていた“安定した日常を過ごし変化を望まないラルフ”と、“好奇心旺盛で自立心が強いヴァネロペ”のような、価値観の違う、ふたつの想いに引き裂かれるように葛藤するウッディ。

新たな持ち主の内気な少女、ボニーには必要とされなくなり、手作りのおもちゃで自分をゴミだと思い込むフォーキーの誕生とお世話は子育てさながら、予測不能のイレギュラーな事態に直面して振り回されながらも、自らの存在意義を見つめ直すきっかけになる。

とりわけ、骨董品を取り扱う店「セカンドチャンス・アンティーク」に置かれていた女の子のおしゃべり人形、ギャビー・ギャビーとのエピソードは、誰にも愛されないおもちゃの苦悩と、持ち主(アンディ)に愛される幸せを対比させ、役目を担うことができないおもちゃと、役目を終えたおもちゃに第2の人生(セカンドチャンス)はありえるのか、深く考えさせられる。

そう、本作はこれまで人生の節目を何度となく迎えてきた、大人たちにこそ刺さる作品だ。
幸せのカタチはひとつじゃない。
必要とされなくなっても、別の人生がある。
「俺はこうするしかないんだ!」
と駄々をこねるように叫ぶウッディ。
しかし、あらゆる呪縛から解き放たれ、内なる“心の声”に耳を傾けたとき、一歩踏み出す勇気が湧いてくる。

おもちゃたちとアンディの物語は「3」で美しくも感動的に幕を閉じた。
けれども、自我を持ち始めたウッディと、人格を持ったおもちゃたちの“その後の人生”を描くためには、本作は必然だったのだと思う。
なぜなら、ウッディ自身の物語はまだ終わっていなかったからだ。

これまでのシリーズに比べて一貫性に欠ける、という批判はよく分かる。
ウッディは最後の最後まで逡巡する。ボニーや仲間たちへの責任を感じ、最後までおもちゃとしての役割をまっとうしようとしていた。
しかし、これまでと似たような展開なら本作は必要なかった。
役目が終わっても、まだ別の人生があるという選択の自由を与え、おもちゃ自身に生き方を委ねるという意味では、本作はシリーズ3作品に匹敵するほど革新的であり、また本当の意味での完結編になったのだと思う。

ディズニー/ピクサーならではの映像美はもちろん、今の時代を反映したマイノリティへ向けて「そのままの君で素晴らしいんだ」と肯定し、それぞれの運命と決断に一喜一憂しながら、私たちの人生そのものとも重なるキャラクターたち。
その勇気、その友情、そして今を生きる子どもたちへの愛情は本物だ。
だからこそ、ラストシーンが胸を打つ。


娘は今夜もお気に入りのぬいぐるみを抱っこしながら、遊び疲れてスヤスヤと眠りにつく。
彼女がこの物語の本当の意味に気づくのは、まだだいぶ先の話になるだろう。
いつか広い世界へ巣立つときがやってきても、きっと覚えていてほしい。自分の子ども時代が、こんなにもたくさんのおもちゃとの、幸せな思い出に彩られていたんだということを。

そしてそのときには必ずこう言おう。
「無限の彼方へ、さあ行くぞ!」
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