小麦番長

トイ・ストーリー4の小麦番長のネタバレレビュー・内容・結末

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

【 内なる声は、“必ずあなたも何処かで必要なあなた ” 】


ウッディは持ち主(ご主人様?)ボニーに忠実に仕えることで、ボニーのためなら何でもする心意気で自分の存在意義を感じようとしている。
なのに最近のウッディはボニーの遊び相手として “選ばれない” 。

ウッディは
『ボニーは俺が居なくちゃやっていけない』
自分はボニーにとってそういう存在でないといけない。と言うかそう信じたい。
だから幼稚園にまでついていく。
だから “ボニーのため!” とフォーキーを必死に探す。

今作は
“ 必要とされたい“ 、“相手も自分と同じように自分を必要としてくれていて欲しい”
この願望との葛藤でウッディが成長する物語。かと。

この願望はウッディだけでなくオモチャたち皆に言えること。なのでアンティークショップで出会ったギャビーギャビーが、ウッディの音声システムを手に入れても女の子ハーモニーから『要らない!』とポイされてしまうシーンは辛い。
作中、持ち主が居ない寂しいオモチャのことを “ 迷子おもちゃ” と称して同情の対象としてるのだけど、ギャビーギャビーも迷子おもちゃから脱せない。
が、終盤で人間の女の子(本当の迷子)と出会い持ち主を見つけたことでギャビーはやっと持ち主の居る人生を歩み始める。
( ハーモニーにポイされた経験から『この女の子からも嫌われないかしら』と踏み出せないギャビーギャビーの気待ち、スゲー解るよ!!(泣))

最初、ゴミとオモチャの違いが理解できなかったフォーキーも、ギャビーギャビーとの会話や自分に役割(車のウィンドウを開けさせないよう抑える係とか)を与えられたことで “必要とされる喜び” をはじめて味わう。
フォーキーの “持ち主が居る人生” も始まる。

かたやウッディは‥‥
ずーっと“ 持ち主ありき” の人生を送ってきたところにボーと再会し、そのボーは “世界は広いのよ” と持ち主を持たない生き方を選択し、ボーの仲間たちも持ち主が居なくても楽しそうだ。

前の持ち主アンディがおもちゃを必要としない大人に成長したように、ウッディ自身も“ 持ち主が居て持ち主に必要とされてこそのおもちゃ” って呪縛的な考えから放たれて自分の人生を生きる、ってラストもとても良いと思う。


前作3が “おもちゃは持ち主ありき” の設定で持ち主アンディとの別れや仲間との友情でわかりやすい感動を描いたのに比べ、今回は世間的には感動要素は薄いのかもしれないけど、ワタシは今作のテーマの方がしっくりきた気がする。(ま、現実は持ち主に遊ばれないオモチャは埃かぶったままになるし ^^; 、捨てられたオモチャの運命を描いたりしてこその教訓的な前3作だったとは思うけど)

何度も出てきた
『内なる声を聞け』設定も、“ こうあるべき(=オモチャは持ち主が居て遊ばれてこそ)” に囚われてなくても良い、自分の気持ちに素直になれば良い、の象徴としてまァ良いのではないかな。(人間の人生も重大な選択を迫られたときの決定打は “心が感じたまま” だったりするし。)

幼少期あまりオモチャに執着が無かったワタシとしては、大人になった今、とりあえず何かオモチャが買いたい!!笑
小麦番長

小麦番長