海老シュウマイ

あしたになれば。の海老シュウマイのネタバレレビュー・内容・結末

あしたになれば。(2015年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

監督三原光尋の過去作「あしたはきっと…」の良かったところが消えて、ダメなところが強化された感じ。

今作では脚本も監督がメインで書いてそうなことが一番の原因な気はするけれど、監督の好き勝手にやりたいお話でやりたい映像を作って…そこは誰かバランサーが欲しかった。

何の脈絡もなく突然、ヒロインがキャッチボールしたくなったり、突然ヤンキーに絡まれてボコられて、地面に大の字になって親友と仲直りしたり、カルピスで間接キスしたり、
やりたいことはわかるし、ベタでもいいけど唐突すぎて薄っぺらすぎてついていけない。
そういや前作でも急に鬼ごっこし始めたり変なことしてたなーと遡ってダメポイントがあらわになってしまったり。

それもやはり、登場人物や描く事が多すぎだったと思う。
ヒロインとの恋愛、母娘の問題、野球少年の挫折と再生、男友達同士のヒロインの取り合い、そして地域おこしコンテストへの参加、と盛り沢山で、
作り手たちも観客もイベント自体がどうでもよくなってるので、結果細かいエピソードが散らかりまくって、登場人物もみんな均等に浅く触れられて、そんな中で唐突にベタ演出が来て乗れるわけがない。

ここはやはり、コンテスト参加を推していくなら真面目に取り組んで、その結果でカタルシスを得られる作りにしないといけないし(あの「トリガール」だって真面目にやってた)、
そこがやりたいことでなければ削って、普通に共学にして黒島結菜を転入させて、お菓子の部活の話でも良かったし、文化祭の夜をピークに設定しても良かった。

前作では吹石一恵だけをメインに置いて描けていたところ、今作では男子二人と黒島結菜をそれぞれ描かなければいけないのか、どっちつかずになってしまっている。

男子二人を中心に組み立てれば、ひと夏の思い出、初恋、友情の物語として成り立ったし、黒島結菜をメインにするなら、田舎生活での内省の話、自立の物語、家族再生の物語にできたのに。

お話がめちゃくちゃなのはメインで脚本家さんにお願いすれば良いだけなので、今作での一番の問題点は、監督の「照れ」だと思った。

前作と比較して、恋のおまじないシーンと告白シーンに顕著なのだけど、
前作のおまじないが水に花びらを浮かべるという静謐さのあるシーンだったのに対し、今作では白塗りメイクをしてヘンテコな呪文を唱えるっていう笑えないお笑いシーンとなっていた。
また、告白シーンでも、吹石一恵が自分の想いを自分の言葉で誠実に伝えようとしたのに対し、本作では告白っぽいことは言った?言わない?気持ち入ってる?の最後に妹が邪魔するという「外し」を入れていて、心底覚めた。

そんな底の浅い「お笑い」をこれが関西のノリやで〜みたいに使うのは関東人としても噴飯ものなんやでんがなまんねん。

青春に対する「照れ」こそが青春、という見方もできなくはないけど、ベタなことを本気で真面目にまっすぐやるのが監督の持ち味ではなかったのか。年齢を重ねて照れだしたのか。いい歳になっても真剣に青春の純度を追及する姿はカッコいいと思うんだけど。
現代的かつ一般向けチューニングを意識したのなら、そんなの福田雄一と佐藤二郎に任せとけばいいので。

他に前作では時代を感じさせないようにした工夫も今作ではなくなり、中途半端にLINE的なものを使ったり、トヨタのヴォクシー?タウンエース?を背後に「野球部戻ってこいよ!」みたいな熱いシーンを緊張感のない画で撮るなど、前作のこだわりはなんだったのかと…

前作、「あしたはきっと…」の最後の三点リーダが今作では「あしたになれば。」の「。」となったように、監督が好きなようにやって完結、引退ということなんだとは思うので、去りゆく人に罵声浴びせたくないけど、
最後無理矢理でしょ、セリフで「あしたになれば。」って。
そんなラストでいいんかい、あなたの創作人生。