Naoto

神々のたそがれのNaotoのレビュー・感想・評価

神々のたそがれ(2013年製作の映画)
4.8
再鑑賞。

地球より800年程文明の遅れがある惑星の王都アルカナルに派遣された学者達30名。
そこでは大学は破壊され、有識者たちは次々に狩られていくおぞましい光景が広がっていた。
学者達は惑星で行われている所業について傍観する事を厳命されている。

アルカナルに住む人間の文明力は地球人と変わらなそうなので、そのまま800年前の地球の写鏡として見ていいだろう。
地球の写鏡だとするなら、学者達はこのまま世界が退廃していけば何が起こるか知っている。
そして現代に生きる僕たちも本作の学者達と同じく、人類がしてきた罪の歴史について知識として知っているが、それに対して何もできないので傍観者と言える。

つまり本作が幕を開けた瞬間、学者ドン・ルマータと共に視聴者も神の視点に立たされる。

その世界にはありとあらゆる罪が横溢する。
傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
7つある大罪が映し出され、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がれば、ダンテの描いた地獄の最下層コキュートスが思い出される。

コキュートスでは生前"裏切り"を行なったものが幽閉され、最も重い裏切りは神への裏切り(堕天使ルシフェル)だ。
先に見た通り、本作においての神は知だった。
つまりドン・ルマータおよび鑑賞者(知)を裏切り知者狩りを行うアルカナルの政党は最も重い罪となる。

が、その重い罪を看過することしかできないドン・ルマータ。
神はつらい。

迎えた中盤、ドン・ルマータは顔に黒いオイルのようなものを塗り、その後に燃え盛る炎が映し出された後に、ある独白をする。

ここでまたダンテの世界に寄り道をしておく。
差し当たって確認したいのは、天国へ至る為に通る煉獄の門の前に、各自色分けされた3つの階段が存在していたこと。

一段目:白
二段目:黒紫
三段目:赤

白は告解、黒紫は痛悔、赤は神への愛を表す。

ドン・ルマータはこのシーンで白いシャツを着ていた。
顔には黒紫が塗られ、炎の赤が写った。

つまり、この汚濁に塗れた世界を傍観していた事に対して痛み入り、悔いて、神(知)への愛を誓うことを告解したシーンと言えるのだと思う。

終盤、一面に広がる白銀の雪原は白黒のカメラで映し出される。
白と黒が混じると灰色。
灰色は悔悛と敬虔を表す。

心持ちが変わった程度では別に世界は何も変わらない。
ただ、心持ちが変わらなければ何も変わらないことも事実。
ゲルマンは人間の最も汚く罪深い部分と向かい合い、それを心から悔いて立ち向かっていくという敬虔なる意思を本作に込めたのだと思う。

そこにはどこからともなく聞こえてくる神韻が広がっていた。
Naoto

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