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フォーカスのsanbonのレビュー・感想・評価

フォーカス(2015年製作の映画)
3.5
後出しジャンケン感が拭えない。

これ、観たことないと思ってたら前に一回観てたやつだわ。

漫画にしろ映画にしろ、一度見たものは大体内容を憶えていられる僕が、内容どころか観た事すら忘れるなんてどんだけ印象薄いんだよ!(普通に記憶力が衰えてきてるだけ定期)

そんな時の為にも「Filmarks」は、今後も積極的に使っていかないとね!👍

と、謀らずも二度目の鑑賞となった今作だが、今回はバッチリ感想も書くつもりで観たので、記憶に残っていない理由もこれでなんとなく分かった気がする。

こんな機会を得られたのも、全部Filmarksのおかげだね!✌️

…はい、Filmarksへの唐突な媚びはここらにしといて、早速本題に移りたい。

まず、今作はスリなどで得た盗品を売り捌き生計を立てる"詐欺集団"を、スタイリッシュに描いた"クライムムービー"となっている。

あれだけの大所帯を、ほとんどスリだけで養っているというのは些か疑問の残る設定ではあるが、その手捌きは華麗でエンタメ特化な見せ場としては、十分その体を成していたと思う。

そして、詐欺師を題材にしているという事は、人を欺く事を描いているという事で、人を欺くという事は、そこには必ずトリックがあるという事で、トリックがあるという事は、タネ明かしがあり、タネ明かしがあるという事は、そこには必然的に"納得させたうえでの驚き"を携えていないといけない事になる。

つまり何が言いたいのかというと、マジックのような表面だけを披露して成立するショーとは違い、裏表どちらも開示した状態でないと成立しないトリックものに関しては、オチに繋がるギミックには最低限度の"フェアさ"を持ち合わせていなくてはいけないし、その描き方如何で作品としてのクオリティには雲泥の差が生じてくるという事である。

しかし、そういった観点で観たとき、今作には明らかに致命的な欠点が一つ存在する。

それは、フェアな部分を担う"違和感"を、どこにも仕込めていない点にある。

トリックものの作品において、この違和感はかなり重要な要素であり、敢えて違和感を覚えさせるなにかを仕込む事によってそれが推理の手掛かりとなり、その違和感の正体がネタバラシとして明かされる事によって物語に"納得感"が生まれ、その納得感が作品に対する"カタルシス"へと昇華されていく仕掛けを担っているからだ。

では、どう描くのが正解だったのかというと、それは至極単純な話で、"答え合わせの前にヒントを提示"してくれていれば、ただそれだけで良かったのだ。

これがない作品は、なんの予備知識もなくいきなりテストを解けと言われている状態と同じだ。

前もって授業を受けて、予習と復習をしっかりしたから解ける問題を、いきなり初見で解きなさいと言われたら当然理不尽さを感じるように、今作のような最後にネタバラシがある作品も、作中に答えに繋がるヒントを散りばめていないと面白くはならない。

今作で特にそれを感じたのは「55番」と「データ抜き取り」のトリックである。

55番は、仕掛けとしては特段問題なく一見面白いものに感じるのだが、駄目なのはその見せ方にある。

このくだりは、全ての顛末(Aパート)が一通り終わった後、ネタバラシ(Bパート)へと切り替わる「木更津キャッツアイ」方式で展開していくのだが、トリックが"潜在意識に数字を刷り込む"というテクニックを用いているのなら、いつどこでその刷り込みが行われていたのかを、本来ならば"Aパートの中に散りばめた映像を交えて"見せていくのが筋なのである。

要するに、"既に観ている映像"の中に"答え"が隠されているからこそ、驚きと興奮を誘発出来るというのに、今作のネタバラシパートでは全て新規の映像で、後発的に実はこうでしたと説明を入れている。

くどいようだが、授業がないのにいきなりテストを受けさせられて、実はこの問題はこういう事でしたと言われても、そんなの聞いてねえし!となるのは当たり前の事である。

それこそ、数字を潜在的に印象付けるというのなら、本編を通して視聴者にも同様の刷り込みをしてみても面白いと思うのだが、そういった工夫もみられなかったのは非常に残念だった。

そして、F1オーナーが開発した新システムを狙ったデータ抜き取りのトリックなんてもっと酷い。

あれこそ、後出しジャンケンと言わずしてなんと言えばいいのだろうか。

オチに繋がる伏線がなにもないのだ。

まさか、存在だけ仄めかしておけば、仕掛けが成立するとでも思っているのか?

これでは、ラスボスにボロボロにやられて打つ手なしとなった主人公が、仲間の声援を受けて謎の覚醒を果たして形成逆転する、昭和の少年マンガくらい超展開が過ぎる。

最後に全てそれでひっくり返すなら、もうなんでもありになってまうやろと言わざるを得ないのだ。

結局、愛する彼女を置き去りにしてまで決別した理由も、オチに絡んでこないどころか真相は分らず終いだし、とにかく全編において仕込みが雑なうえに甘く、全体的に伏線不足は否めなかった。

こういう映画は、裏切られた時のカタルシスが最も重要であり、そのカタルシスを呼び起こすのに必要なものが、いわゆる「アハ体験」なのである。

一部分が徐々に変化する映像を見て面白いと感じるのは、徐々に変化する"過程を視聴者に見せるから"面白いというのに、今作はそれを変化前と変化後でしか見せずに「ほら、変わったでしょ?」と言っているようなもので、こちらからしてみれば「うん、だから?」としか思わないし、その過程は変化後に説明形式で伝えられるだけだから、リアルタイムな変化の喜びは感じられずに終わってしまう。

そこが一番の見せ場で面白い筈なのに、だ。

ただ、今回こうして二度目の視聴を終え、色々と考えた結果、そりゃ面白くないのは当たり前だし、そりゃ記憶からも抹消するわと気付けたのは、ちょっとしたアハ体験だった…のかもしれない。
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