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アベンジャーズ/インフィニティ・ウォーのsatoshiのネタバレレビュー・内容・結末

4.7

このレビューはネタバレを含みます

 『アイアンマン』から始まった、MCUの10年間の総決算。公開されるやいなや世界中で特大ヒットを飛ばし、観客の評価も上々。世界中でこれまで積み上げてきた熱が一気に燃え上がっている気がします。私としてもそんなビッグ・ウェーブに乗るため、去年8月くらいから半年かけてMCU作品を鑑賞し、本作に備えてきました。

 観終わって、しばし呆然としました。比喩表現ではなく、本当に口をポカーンと開けて、エンドクレジットを眺めていました。かなりの衝撃を受けましたね。

 しかし、結末だけで呆然としているわけではなく、それまでの中身もとても面白く、また、アクション映画としても非常にハイレベルな作品で、上映時間は2時間30分超ですが、体感時間的には1時間くらいでした。

 というのも、本作は見せ場、山場の連続で、その上にストーリーが止まらず、どんどん進んでいくためだと思います。ヒーロー達の関係性は、これまで培ってきたものもありますし、間の期間は台詞ではなく、彼らのアクションで主に語られます。これは敵側も同じです。

 本作の敵は、最凶最悪の存在、サノス。「宇宙の均衡を保つ」ために全生命体の半分を虐殺しようとしています。書いてしまうと、本作はサノスの映画です。これまでの『アベンジャーズ』作品では考えられないくらいサノスのキャラを掘り下げていきます。

 冒頭、話はいきなり『マイティ・ソー/バトルロイヤル』の直後から始まります。ここで映されるのは、アズガルドの難民を乗せた船が壊滅させられているという衝撃的かつ、絶望的なシーン。本作は全編に亘って、この絶望感のようなものがあります。そして、ここではサノスの圧倒的な強さも示されます。何といっても、「アベンジャーズ」の2強であるソーとハルクが一方的にやられているのですから。ハルクに至っては、同じ土俵に立たれたうえで、サノスにボコボコにされています。この時点で、「こいつヤバい」と観客に認識させていますね。

 その他にも、サノスが何故、この思想を持つようになったのか、そして、計画を実行するための「覚悟」が丁寧に語られていきます。そこで得られるサノスのキャラクターは、思った以上に人間臭い。愛する者がいて、それを失ったときに悲しみ、太陽を美しく思う心も持っています。

 このサノスの物語と並行して、ヒーロー達の活躍が描かれていきます。しかし、サノスとは対照的に、そこにはドラマが希薄です。終始サノスへの対応に終わっています。にもかかわらずあまり気にならないのは、これまでの積み重ねがあることと、『シビルウォー/キャプテン・アメリカ』でも示された、ルッソ兄弟の驚くべき交通整理力の賜物でしょう。全てのヒーローに見せ場が用意されていますし、アクションシーンも一々凝っていて、且つ分かりやすく、観ていて全く退屈しません。

 また、ヒーローの登場シーンなど、「ヒーロー映画」として我々が観たいものをかなりカッコよく見せてくれます。キャップの登場シーンは最高でした。

 ここまで考えて、本作の特異な点が浮かび上がってきます。それは、本作がこれまでの『アベンジャーズ』シリーズと構造が全く逆だということです。これまでのシリーズは、紆余曲折の末に彼らが団結する姿を描いてきました。故に、敵側の描写は全くなく、完全にやられ専門でした。しかし、今回は敵を重点的に描き、アベンジャーズの描き方はどこか書割り的な感じがします。しかも、今回彼らは団結していないのです。よく思い返してみれば、スタークとキャップは会ってないし、3つのグループに分かれて戦っています。シリーズ恒例の皆で円を作ってそれをカメラが移動して捉えるアレが無い。多分ここら辺は次作に持ち越しでしょうね。ルッソ兄弟も、「映画秘宝」のインタビューで、「サノスを倒すのに必要なのはもちろん団結だ」と言っているあたり、確信犯なのでしょう。

 また、ルッソ兄弟に着目すると、本作で描かれていことも見えてくる気がします。彼らは「映画秘宝」のインタビューでこう述べています。
 
『ウィンター・ソルジャー』で始めたストーリーを、これらの映画で終えるんだ、と。
 
 それでは、ルッソ兄弟が過去2作で描いてきたことは一体何だったのでしょうか。私はそれは、「正義のぶつかり合い」だと思っています。『ウィンター・ソルジャー』ではキャップの正義とS.H.I.E.L.Dの正義、『シビルウォー』ではキャップとスタークの正義がぶつかり合いました。そして本作では、サノスの「正義」とアベンジャーズがぶつかります。しかし、アベンジャーズは、サノスの圧倒的な力の前に倒れ、サノスの正義が通されます。ここで、これまでのシリーズの価値観がひっくり返る気がします。アベンジャーズ自身も自分たちの「力」で物事を押し通してきた感があるためです。そんな彼らが負ける。つまり、アベンジャーズの否定になっている気がしなくもないのです。

 では、サノスが正しいのか、と問われれば、そんなことはない。複雑化する世界では、力で全てを決定し、押さえつけることは肯定できないでしょう。しかも、彼は個人としては愛する者を、さらには宇宙の生命体の半分を犠牲にしているのです。「犠牲の上に成り立つ正義」これを肯定できるのか。

 そして、この問いは、アベンジャーズにも突きつけられます。ヴィジョンという存在に対してです。この問いに対して、次作でどのような回答がなされるのか。私はそこを注視したいと思います。
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