きょんちゃみ

ブラックパンサーのきょんちゃみのレビュー・感想・評価

ブラックパンサー(2018年製作の映画)
5.0
【『ブラックパンサー』について】

すべての共同体は常に、フェイクを含んでいる。日本国だろうが、アメリカ合衆国だろうが、大学のサークルだろうが、学校のクラスだろうが、人が帰属できる共同体は、すべてフェイクを含んでいる。つまり、ストーリー性が巧みに考えられて作られたフィクションである。

それゆえ、ワカンダ王国は映画の中のものだからフィクションで、日本国はフィクションなどではないなどとはいえない。どちらもフィクションである。

国家はそもそも、むしろフィクションなのだと自覚してから、それを守ったり、批判しなければならないような代物である。

たとえば日本国も、誰かが一生懸命執筆したストーリーであり、そのストーリーは今も生き生きとしている。その証拠にこの日本語を読んでいる人は、けっこうな確率で日本人であり、自分は日本人であると名乗るとそれがかなりの確率で見ず知らずの他人を納得させる。この端的な事実が、日本国がいかにしっかり人々の心に根付いた、生き生きとしたフィクションであるかを"物語って"いる。しかし、それでも他方で日本などというものはフィクションである。

逆に言うと、日本とかいう代物がフィクションであるという自覚がないのに、「日本が好きだ」と言っている人は、「日本がフィクションだと知ったら日本を好きじゃなくなるような奴」だと思う。だから、そういう奴らは右翼の名には値しないのではないか。

全ての共同体は、何らかの単純化された幻想によって自分たちが、隣に座っている誰かと、多分、同じなのだとイマジナリーに、つまり想像力によって思い込むことによって成り立つ、フェイクである。ある意味で、希望的観測の産物以外の何物でもない。

このフェイクは、なにかを忘却すること(=ワカンダの鎖国状態ならば開国派に対する黙殺)によって成り立つ。

だから、そういう共同体が、なぜか安定しているように見えたとすれば、それはその共同体の内部に内臓されていた、共同体を支える物語づくりのために犠牲にせざるをえなかったものから目を背けているからだ。

この映画に登場する、エリック君というMIT卒の秀才の場合、この矛盾に、主人公のティチャラ王子とかいう甘やかされて育ったボンボンよりも、ずっと早くから気付いていた。

なぜなら、彼は優秀で真面目だからである。というか、エリックの父エヌジョブさんが1992年のオークランド潜伏中に、ワカンダの孤立主義がいかに同胞のアフリカ系の人々にとって非道なものであったかを目の当たりにしてしまっていたからである。彼はマサチューセッツ工科大で鍛えられた典型的な左翼学生であると考えると見やすい。

「賢者は橋を作り、愚者は壁を作る」と主人公のティチャラ王子はこの映画のラストシーンで言うんだが、だったら悪役エリック・キルモンガーは圧倒的に賢者である。エリック君ほど"橋"を作ろうとした人はいない。

以下に、エリック君の論理をまとめた。

①国家成立のための犠牲から目を背け、鎖国して、平和平和と言っているのは欺瞞だ。
②だから開国すべきだ。
③開国したのに、俺たちが舐められているのはなぜだ。
④開国した結果、他国がワカンダ王国から搾取できるからだ。
⑤だから、あんなやつらを信頼してたら俺たちが馬鹿を見るから、殺られる前に殺っちまえ。

ワカンダがフィクションであったことに誰よりも早く①の段階で気付いていたエリック君は、速やかに、そのことの重要性を④で忘却してしまったのである。

どういうことか。

日本国が万世一系であるというのが嘘であるのと同様に、ワカンダが完全無欠の国であったことはおそらく歴史上一度たりともないのだが、エリックはワカンダ成立の陰で犠牲になったものたちを贖って開国を達成すれば、今度こそワカンダは完全無欠になれるとまた思い込んでしまったのであった。開国したのに完全無欠にはなれないとすればそれは他国が構造的に搾取してきたからであると彼は考える。そして、その完全無欠さへの権利は、それを阻む他国を支配できる権利として、彼の頭の中で具体化されることになった。つまり、エリックは、ワカンダがフェイクであるといち早く見抜いたにもかかわらず、だからワカンダがやましい過去を白状し洗浄すれば、再び完全無欠の国に戻れるとの発想もまた、フェイクであるとは気づけなかったのである。

[Eric]
You know, where I'm from... when black folks started revolutions, they never had the firepower... or the resources to fight their oppressors.
俺の地元のオークランドでは、黒人たちが公民権運動をやってたとき、彼らには銃火器や、圧政者に刃向かうための資源が不足していたんだ。
Where was Wakanda? Hmm?
そのとき、ワカンダ王国はなにやってた?
Yeah, all that ends today.
こんなことは今日で終わりにするんだ。
We got spies embedded in every nation on Earth. Already in place. I know how colonizers think. So we're gonna use their own strategy against 'em. We're gonna send vibranium weapons out to our War Dogs. They'll arm oppressed people all over the world... so they can finally rise up and kill those in power. And their children. And anyone else who takes their side.
俺たちは既にスパイを各国に潜ませてある。俺は植民地主義者のやり方を学習した。だから今度はそれをそのまま彼らにやり返す番だ。ビブラニウム兵器で反乱軍を武装させ、圧政者を皆殺しにする時がやってきた。
It's time they know the truth about us! We're warriors! The world's gonna start over, and this time, we're on top. The sun will never set on the Wakandan empire.
彼らは真実を知る時が来た。俺たちは元来戦士だ。世界をすべてやり直しにしよう。今度こそ俺たちがトップになるんだ。ワカンダ帝国は日の沈まぬ国になる。

[OKOYE]
Wakanda has survived for so long... by fighting when only absolutely necessary.
ワカンダは本当に必要な時のみに限って戦うことでここまで生き延びてきたのです。

[W'Kabi]
Wakanda survived in the past this way, yes. But the world is changing, General. Elders, it is getting smaller. The outside world is catching up... and soon it will be the conquerors or the conquered. I'd rather be the former.
それは過去の話でしょう。世界は変わったのです、オコイエ将軍。先進国はどんどん影響力が小さくなり、第三世界が追いついて来ています。そしてもうじき、征服者と被征服者に分かれるでしょう。どちらかといえば、私たちは、前者になりたいと思うのです。

→なにをどうしようと、共同体がそもそも内臓している欺瞞は乗り越えられない。なぜなら、冒頭から述べている通り、共同体という発想自体がひとつの欺瞞だからである。

もちろん、ここまで述べてきたような根源的な国家の欺瞞に無自覚な、甘やかされて育った右翼である初期のティチャラ王子は、エリックよりもずっと阿呆であると思われる。

[Eric]
I'm standing in your house...serving justice to a man who stole your vibranium and murdered your people.
俺は王宮に立っている。俺は正義を運んできた。ビブラニウムを盗み、祖国の民を殺した偽りの王の元に。
Justice your king couldn't deliver.
この正義はお前たちの王がもたらすことのできなかったものだ。
Y'all sittin' up here comfortable.
お前らはそこで踏ん反りかえっている。
Must feel good.
さぞ気持ちいいだろうな。
It's about two billion people all over the world that looks like us. But their lives are a lot harder.
世界中で20億人の俺たちと同じ黒人が苦しんでいる。お前らよりもずっと悲惨な状態だ。
Wakanda has the tools to liberate 'em all.
ワカンダ王国は、彼らを自由にしてやれるんだぞ。その手段を持っているんだ。
And what tools are those? Vibranium. Your weapons.
その手段こそが、ビブラニウム。お前たちの武器だ。

[T'Challa]
Our weapons will not be used to wage war on the world.
我々の武器は、戦争を輸出するために使われたりしてはならない。
It is not our way to be judge, jury and executioner...for people who are not our own.
自国民でないものたちを統治するのは我々のやり方ではないのだ!

[Eric]
Not your own?
自国民でないだと?
But didn't life start right here on this continent?
人類はまさにここから、アフリカ大陸から発祥したんじゃなかったのか?
So ain't all people your people?
だったらすべての人類が自国民じゃないのか。

[T'Challa]
I am not king of all people.
私はすべての人々の王ではない。
I am king of Wakanda.
私はワカンダ国民の王であるに過ぎない。
And it is my responsibility to make sure
our people are safe...and that vibranium
does not fall into the hands of a person like you.
むしろお前のような奴の手にビブラニウムが落ちないようにすること、自国民の安全を守ることこそが、私の責務なのだ。

[Eric]
Mmm...


→しかし、ティチャラ王子は、最後に国際社会との協調路線を取りつつ、このワカンダ共同体という名の幻想を維持していくことを選ぶ。なぜならば、共同体は、既にそれ自体で欺瞞なんだが、無いよりはあったほうが断然良いし、だったらそういう共同体がつくる秩序を維持していくしかないんだが、そのためには、他の共同体と協調しないといけない、と理解したからである。つまり彼は、強くなったとか、心を入れ替えたというよりは、単に政治家として頭が良くなったのである。

「主人公のティチャラ王子は、エリック君との戦闘を経て、最後には心を入れ替えて、本当の良心をやっと身につけて、世界に対して国を開くことにしたのだ」というこの映画にたいする解釈は、あまりに単純化され過ぎていると思う。

むしろ、彼は保守的な政治家としてのセンスを身につけたのだと思う。というのも、彼は、君主制自体には反対しなかったわけだからである。

つまり、ティチャラ王子は、エリック・キルモンガーとの戦闘で、君主制共同体という幻想をより持続可能な仕方で維持する方法を学んだのである。

ティチャラ王子は、「他国との交流を断つ君主制という無自覚な幻想」の中から抜け出て、覚醒し、そして今度は、「他国との協調をする君主制という自覚的な幻想」の中へと、再入眠したのである。これがティチャラ王子の決断であった。このように私は理解している。

このような保守的な思想の成熟の過程が描かれているのが『ブラックパンサー』という映画であると思う。

最後に、国連での、ティチャラ王子のスピーチを引用しておく。これは、この映画の製作者による、現在のアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプへの明らかな批判であると思われる。

My name is King T'Challa... son of King T'Chaka. I am the sovereign ruler of the nation of Wakanda. And for the first time in our history... we will be sharing our knowledge and resources... with the outside world.
私の名はティチャラ。ティチャカ王の息子である。私はワカンダ王国の主権者である。そして我が国の歴史上初めて、我々は、我が国の知識と資源を世界に公開する。
Wakanda will no longer watch from the shadows. We cannot. We must not. We will work to be an example of how we... as brothers and sisters on this earth... should treat each other.
ワカンダ王国は、もはや影から見守るだけではない。それは不可能であり、そうすべきでもなかった。私たちは、この世界の兄弟たちが、お互いのために助け合うことの良き見本となりたいと思う。
Now, more than ever... the illusions of division threaten our very existence. We all know the truth. More connects us than separates us. But in times of crisis... the wise build bridges... while the foolish build barriers. We must find a way... to look after one another... as if we were one, single tribe.
いま、世界は未曾有の状況にある。我々が人種的に1つの種族であるということを否定する幻想が、我々人間存在を危機に陥れている。私たちは互いに分離されるのではなく、通じ合わなければならない。危機が訪れたとき、愚者は壁を作り、賢者は橋を作る。私たちはお互いのためを思って行動しなければならない。まるで、一つの部族のように。
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