神田

ブラックパンサーの神田のネタバレレビュー・内容・結末

ブラックパンサー(2018年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

※例のごとくとても長い。




他者への壁。
抑圧される者どうしの抗争。
父が始めた戦争。
過ちから目を逸らす嘘、伝承。

あらゆるテーマが見事に詰め込まれた物語だと感じた。マーベルの作品の中でも、この美しい展開と構成は随一ではないだろうか。最後の決着にも強引さがなく、将来性のある終わり方が心強い。テーマ性としては、ゲーム「HORIZON Zero Dawn」を彷彿とさせる。うっかりワカンダへの忠誠を誓いそうになった。ワカンダフォーエバー!


ティ・チャラとウンジャダカ。その立場には圧倒的な差があるが、彼らは共にマイノリティだ。片やテクノロジーの栄えた閉鎖的な国家の王、片や国に背き差別者への復讐を誓った殺人鬼。いずれも世界の片隅で、家族的な繋がりのもと他に壁を作って生きてきた。

ウンジャダカは問いかける。忌むべき被差別の歴史を持つ者同士、何故ともに力を合わせ差別者に立ち向かわないのかと。力を持っているくせに、ワカンダの中で排他的に平和に暮らせれば、同士のことなどどうでもいいのかと。
恵まれた立場のマイノリティと、冷遇された「マイノリティの中の」マイノリティ。この対立は、あらゆる被差別者の中に見られる構造だ。生きている環境、文化、経済状況、性差……あらゆる要素が干渉して、被差別者の中にも格差が生じてしまう。被差別者同士の抗争は悲惨という他ない。気づかぬうちに他者を抑圧してしまう/憎しみを抱いてしまうというのは、近代西欧の二の舞である。
ただこうした、「恵まれた被差別者/冷遇された被差別者」という対立が描かれていたのには驚いた。これまでは「差別者/被差別者」の対立が当たり前だったからだ。白と黒、西欧とその他、富と貧。目に見える格差を取り扱うこれまでの流れに、一石を投じた形になる。これまで現実に起こっていた被差別者同士の軋轢が、ようやく一大作品で描かれることになったとは、非常に感慨深い。


また、ティ・チャラとウンジャダカの対立のルーツは「父」にあった。父が始めた争い。父が残した火種。これは、現代の私たちの感覚に近いのではないだろうか。つまり、「ポスト世界大戦」の世代である。
直に戦争を知らない世代が、かつて「父」ないし「祖父」以来の因縁によって対峙する。親の世代の過ちから目を逸らそうと、かつての争いを美化したり誤魔化したりする。
ではそんな「戦争の残滓」を被った世代として、これからどうあるべきなのか。そこに向き合うのを恐れて、ティ・チャラは父の面影を求め、ウンジャダカは憎しみに依存した。二人がかつての過ち(他を認めようとしない暴力)をむき出しにして、パンサーの姿で対峙するのは、物語の最後の最後だ。パンサーの爪が、戦うためのしなやかな獣の姿が、拭いきれない暴力の歴史を可視化する。互いに向き合って初めて、ティ・チャラは外へ目を向ける勇気を獲得した。ウンジャダカはただワカンダの景色が見たかった己を自覚し、これまでの暴力を自嘲するかのように「笑えるだろ」とこぼした。過去を清算するだけでなく、将来への方向性を見出すラストだ。

これまでは、差別はダメだとか被差別者はかわいそうだとか、憎しみに駆られるやつはだめだとか、そんな「差別者」への教訓が多かったように思う。だが本作は、「被差別者」ないし「被差別の歴史」をその血に持つ者に向けて描かれている。どちらかといえば少数の、しかしこの世に大勢いるマイノリティに向けて、激励叱咤する力強い物語だ。

やがてあの心優しい王が、アベンジャーズに巻き込まれるとなると正直心苦しい。パンサーのスピリットが、換骨奪胎されることなく今後のシリーズで輝いてくれることを祈りたい。
神田

神田