るる

キャプテン・マーベルのるるのネタバレレビュー・内容・結末

キャプテン・マーベル(2019年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

新年度早々、新元号発表そっちのけで、二度目の『スパイダーバース』を4DXで見て、続いて『キャプテンマーベル』『ブラッククランズマン』『ビリーブ 未来への大逆転』をはしごするというムチャをやったこと、今後事あるごとに思い出しては誇りに思いたいし、励みにしていきたいなと思う。あえて世間に背を向けてテレビもネットも見ずに趣味に没頭するなんて選択肢、心と体と懐と人間関係に余裕がなきゃ選べなかった。最高の過ごし方ができたと思うし、作品内容を補完していくような、良い順番で見れたと思う。

しかし、こちら、うーんん、ごめん、あんまりハマらず。ノれず。ニック・フューリーにもうちょっとだけ興味があれば、ワクワクできたかもしれない、ニック・フューリーに夏休みが支配されるという触れ込みの『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』のノリについていけるか、不安が増したかも。

スクリーンの中のサミュエル・L・ジャクソンを若返らせてしまう、若返らせることができてしまう、CG技術や製作方針に対して、グロテスクだと感じてしまったのもノレなかった一因か。あの表情、自然だったかなあ、もうちょっと深みのあるお顔、繊細な表情の演技ができるひとというイメージなんだけど…先入観かな。それとも若いからあんな感じ、ということ?

『ワンダーウーマン』で思い出したことだけど、私の思う90年代エンタメっぽさのひとつに、戦う女の子とそれを補佐する優秀な男の子のバディがあって、
フューリーがヴァースことキャロルに「反抗期の姪っ子か」と言ってくれたおかげで、ふたりが年の差バディに見えてきたのはワクワクポイントだった、
ロマンスを一切匂わせなかったのも、年上男性が年下女性に対して、やれやれ…というテンプレ仕草をしなかったのも、ステレオタイプからの脱却を感じられて良かった、

でも、それは、サミュエル・L・ジャクソンの見た目をCGでいじってるから、クールなやりとりに見えているだけなのでは? 生身だったらどうだったのか? もうちょっと生々しいニュアンスが出たのではないか? と判断がつかず、引っかかってしまって、ちょっと集中できず。

素直に、CGすげえー!ニック・フュリーの過去話だー!うおー!と思えたら良かったんだけど。
それにしては描かれている関係性が弱いかな。『インフィニティ・ウォー』の最後に、消え行くフューリーがポケベルで助けを求めた相手はキャプテン・マーベル、期待値を上げたわりに、友情や約束や因縁というほどの関係も情動も物語もなく…
その軽やかさ、気安さが良いのかもしれないけど、ちょっと物足りず。

25年あまり、いろんなピンチがあったのに一度もキャロルことキャプテン・マーベルを頼らなかったニック・フューリー、という意味ではエモいのか。
あんなに声かけやすそうなヒーローもいないのにな。『エンドゲーム』で、どうしてこんなに時間がかかったの、もっと気軽に呼んでよね、ってな台詞があったら大興奮できるとは思う。俺に言うな、俺たちもここまでくるのに苦労したんだ、とブラックパンサーと並んで言ってくれたら…最高の連帯なんだけどな。

いま気付いたけど、黒人男性と白人女性のバディってめちゃくちゃ珍しくない? そうでもない? 『モリーズゲーム』とか、あるにはあるか。

さておき、全編通してグースの存在感に頼りすぎな印象も。


開始1秒、スタン・リーの追悼にはグッときた、カメオ出演も愛に溢れてたし、エンドロール、スタン・リー役のスタン・リーとしてクレジットされてるあたり、ほっこりはした、映画館で見てよかったとは思えた。

あ、あと、「キャロル/ヴァース/キャプテン・マーベル」とクレジットされていたあたり、社会によって改名させられてしまう女、呼称によって人生を区分けする人間社会について、ちゃんとわかってるな、と思えて良かった。
彼女はずっとキャロル・ダンヴァースだったけど、記憶を奪われキャロルじゃなくさせられていた、それぞれの名前の女を演じたブリー・ラーソン、良いクレジットだった。
次作で「キャロル/キャプテン・マーベル」とスッキリとクレジットされたさまを見てみたいと思った。キャロルの人生をもっと見たいと思った。

しかし、そもそも予告編にあんまり魅力を感じられなくて、なかなか足が向かなかったんだよな。電車内で突如豹変する老婆、老婆と戦う女ヒーロー、女を殴る女を見せられても…ワクワクしようがない。あの老婆、サム・ライミ監督のホラー映画を連想。

最近のマーベル作品の予告編、シリーズに興味ない初見の客に優しくない…というか魅力を伝えきれてない印象。新しいヒーロー、かっこいい女ヒーローを求めてる層はいるはずなのに、そこへ届ける気概がイマイチ伝わってこない、もったいない。

でもまあ、これに関しては、どこを見せてもネタバレになってしまう構成の話で、予告編つくるのも難しかったのかなと思ったりした。

まずもって、記憶喪失の主人公が記憶を取り戻すまでの物語って、エンタメとして難しいと思うんだよな、記憶を取り戻すタイミングがご都合主義に感じられたら興醒めなわけで。よっぽど上手い脚本、上手い演出で映像化しなくちゃ、とハードルは上がっていたと思う。
『ワンダーウーマン』という新しい神話にノれたぶん、『キャプテンマーベル』は新しい英雄譚として別角度から上回ってくれよなと楽しみにしていたので、予告編見て、評判見聞きして、いや待て肝心のドラマ部分、あんまり期待しないほうがよさそうだぞ、大丈夫かと、かなり複雑な思いで臨んだ。

冒頭から、キャロルことヴァースへの抑圧をライトに描く。力を制御しろと育てられる女、アナ雪だなあ。「怖いな、もっと笑えよ」うるせえな。

スクリーンの中でなにをしても許されてきた愛すべき男、稀代のプレイボーイ役を演じてきたジュード・ロウが、甘い顔してその実、女を抑圧してきた男を演じたのは偉い、
年齢を重ねたジュード・ロウ、このご時世、そろそろ彼に演じて欲しかった役どころ、彼が演じるからこそ意味が生じる役どころで、おっ、新境地か、と惹かれたんだけど、

キャロルの力を利用するために、彼女をクリー人にするために、自分の血を流し込んだうえ、修行相手を務めて師弟関係を築いたり、だいぶ気持ち悪いことしてる男、同化政策や強姦やマインドコントロールを思わせることをしてるわりに、ずいぶんとマイルドに描かれてるあたり、うーん…

そして、なんだよ、結局許しちゃうのかよ? ああいう男、思い込みの激しい男、覚醒した女をこの期に及んでコントロールできると思い込んでる男、自分の課したルールが相手に未だに通用すると思ってる男を、滑稽な愚か者として描いたのは良いと思うんだけど、

許しちゃうのかよ。けっきょく愛すべき愚か者になっちゃった。今後再登場して、もう一悶着描くなら良いと思う、ロキみたいなポジションになっていくなら面白いとは思うんだけど、

ジュード・ロウの新境地に期待してしまっただけに、拍子抜け。どうせならヴァースと恋人関係にして、彼女を支配下に置くモラハラ彼氏としてわかりやすく描いたうえでブン殴って欲しかった気もする…
どうせジュード・ロウを起用するなら、一見、人当たりの良い、甘いマスクのプレイボーイが抑圧者の一面を持っていた、女性人気の高い男だと誰もが思い込んでいたために誰も欠点に気付かず、気付けず、おかしいな? と感じても、いや人望ある権力者だしそんなわけはないと、見逃されてきた、
パワハラセクハラが可視化しにくい構造を見せる、職場の信頼を裏切り傷付けることの非道さを見せる、そういう丁寧さで、新境地を見たかった気がする。(『アルフィー』の先を見たかった)(『ビッチホリデイ』見なくちゃな)

でもそれだと尚更許すわけにはいかなくなっちゃうか。

キャロルという人間を描くにあたって、ロマンスを持ち出さなかった意図はわかるし、恋人関係じゃなくても、女のまわりにはああいう男があふれてる、抑圧的な上司がいる、という示唆が必要だったのはわかる、でもじゃあ、もうちょっと、そのへんについてハッキリと、批判的に描いてほしかったところ。上司を信頼していたのに裏切られたというような、ウエットな人間関係、感情的なドラマが似合わない女ではあったけれど、軽やかさを優先しすぎて物語としては薄っぺらな印象…

難しいな! 新しさを打ち出すって難しい! でももう一工夫ほしかった!

ドラマ部分がとにかく物足りず。満を持してのマーベル製女ヒーローの物語、改めてアナ雪のエルサ、ズートピアのジュディをリピートされてもな、とか。手枷をつけられた姿、訓練に失敗する様子など、オマージュというよりも、単純な比喩表現がカブッてしまったという雑さに思えて、既視感に辟易。

でも、何度転んでも倒れても、お前には無理だ、出しゃばるな、感情を抑えろ、と抑圧されても、何度でも立ち上がってきた女、力を獲得してきた女、ストロングな女、あのシークエンスを見せてくれただけでも十分、という気もする。

翻って、これくらいで挫けてちゃあ、女がアメリカ空軍パイロットなんかになれてねえよ、軍人ナメんな、って話にも感じられた。

まず、クリー人の最初の任務にピンとこなくて、魅力的なエンタメの導入に感じられなくて、映画としてはとにかく残念。
ああ砂漠だな、イラク、シリア、中東だなと思いつつ、アクションに魅力が感じられなかったのは致命的。
スクラル人の造形も、ツルッとした質感のマスクを被っただけにしか見えなくて、新鮮味がなくて、SFエンタメとしてイマイチ…
『スターウォーズ』旧三部作、新三部作を連想して、しかしそれらの影響下にありながらも見事に現代のSFエンタメとして昇華していた『アクアマン』なんかを連想して、予算…!と思ったりした。

ただ、スクラルの正体、難民という位置付けには感心した。
『アイアンマン』から10年、イラク戦争、テロとの戦いについて結局、答えを見出せないまま、描けないまま、融和に向かおうとする、理想を訴える、新時代のヒーローの物語の、新たな始まりだとは思った。

でも、終戦のために戦う、という価値観が根本的に私には合わなくて、うーん。引き際を見失ってずるずる滅びに向かうなんて言語道断だけど、戦争を終わらせるために火に油を注ぎ続ける、介入することで新たな被害を生む、アメリカの戦争ビジネスにはうんざりしてるのでちょっと心理的な距離ができてしまった。
『ワンダーウーマン』で「自衛できるだけの力を得なければ大人とはいえない」という理論、人間観・国家観を聞いたときも、承服できない、それは月経期間や妊娠期間の自衛能力の低下を生来知ることのない男性社会の論理だ、大人=自立の定義がマッチョ過ぎる、と感じて距離が生じたのだけれど、アメリカ製の女ヒーローに心から共感できる日ってくるんだろうか。正直わからん。

女性ヒーローの職業として、軍の花形、空軍パイロットを提示するのはナルホド、アメリカだ。飛べたらいいんだ、という彼らのピュアなリアルを見せる…空軍パイロット志望者って飛行機乗りに憧れているのであって軍隊や兵士に憧れてるわけではないと聞いたことがあるので、リアルなのだと思う、しかし、私はその先、飛行機に積み込まれた爆弾と銃弾の先が気になるので、なんともな…支持しにくい

とはいえ、シングルマザーの黒人女性が母親に子供を預けて宇宙船パイロットとして乗り込み、大活躍、という展開を丁寧に描いたあたり、ものすごい新規性を感じたし、この一点で評価してもいい映画な気もする。
こういう女性兵士は実際に存在しているんだろう、国家に貢献する女性兵士を描くアメリカ映画、プロパガンダの側面を思うと辛いけれど、物語ることが存在を肯定することになる、物語のパワーを信じている豊かな土壌が垣間見えて毎度圧倒される。

サミュエル・L・ジャクソンが、キャロルことブリー・ラーソンの隣にいたときより、あのコックピットで、マリアことラシャーナ・リンチの隣にいたときのほうが活き活きして見えて、彼がナレーションを務めた『私はあなたのニグロではない』を連想して、瞬間的に、なんともいえない気持ちに。

『ブラッククランズマン』を観て改めて、15歳の黒人女性アイアンマン、『アイアンハート』が映画化されるときには、キャストがヘイトに晒されないで済む、黒人の女の子の安全が完全に保障された社会であってほしいと思った。いつになるやら。ほんとに時間がかかりすぎだよな。。余談。

女の友情を描いたあたり良いと思う、女友達の娘と仲良しな描写、めちゃくちゃ良かったし、娘世代にコスチュームを選んでもらう、彼女たちのヒーローのビジュアルを彼女たち自身に決めてもらう、自分たちらしいファッションを自分たちで選ぶワクワクがあって、女性ヒーローものの描写として最高に良かった。

ブリー・ラーソン、べつだん笑わなくてもチャーミングに見える、印象的な表情は眉間にしわを寄せたときで、もうちょっと感情豊かな姿も今後見たい気持ち。感情的すぎるといわれていた彼女の、怒りの爆発を見てスカッとしたかったな。

SF映画の中の抑圧された女といえば、いままで、ロボットのように能面の女、ピグマリオニズムを想起するような男好きする人形のような女、感情の見えない美女、というステレオタイプがあったことにも気付かされた。一見明るくにこやかに見えるようでいて、その実、抑圧されている女のほうが、現代社会には多い、ということを思ったりした。

私は不機嫌な顔が得意な女なので、どんなに職場で理不尽な目にあっても笑顔を貼り付けていられる女たちを尊敬している反面、その内面が心配だし、あなたたちが明るく振舞ってるから抑圧や不満が可視化されないし、馬鹿な男たちが改善点に気付かずに現状を変えないんだよ、と意地悪なことを思いがちなんだけど。

彼女たちの強さを肯定していたように思う。男社会に順応してきたキャリアウーマンのほうが刺さる話なのかもしれないと思った。

お嬢さん、と呼ばれて、やめてよ、と眉をしかめたヴァースことキャロル、率直でスマートな抗議で良かったけど、ドラマ『ニュースルーム』を連想してしまって、サム・ウォーターストンとの口論シーンで「girl」と呼ばれて「girl呼ばわりしないで」とブチ切れたオリヴィア・マンを連想して、個人的にはあっちのほうが共感できた、好きだったなとか。

女の子扱いされることを嫌がる大人の女性、日本だとあんまりない描写だよなとか。いろいろ。

90年代っぽさが個人的にあんまりハマらなかったのが残念、かな。レンタルビデオショップには笑ったけど。

音楽にもいまいちノレず。歌詞がわかれば良かったんだろうけど、どうせなら曲のかけ方を工夫してほしかった、90年代ならウォークマンの音楽を聴きながらアクションとか、イヤホンが外れて大音量で流れる音楽、その歌詞がシーンにぴったりはまるとか、そういう演出でもって、歌詞に引き込んで欲しかった、『ガーディアン・オブ・ザ・ギャラクシー』とかぶるのを避けたのかな。

グース、可愛らしい猫をやたらと怖がる異星人、実は猫じゃなかったという展開、既視感があったんだけど、なんだっけ…? 悪い意味でベタに感じてしまって、ゴリ押しに感じてしまって、うーん。

地球人になりすます異星人など、様式美は感じられたけど、残念ながら私のツボではなかった。今年公開のMIB最新作と見比べたら、現代にも残すべき90年代らしさが改めて浮き彫りになって面白いのかも。

エンタメとして単体の物語として『ワンダーウーマン』『アクアマン』と比べてしまって、期待していたぶん、新しい英雄譚としての物語の強度が感じられなかったのは辛かったけど、新鮮味は感じられたし、ブリー・ラーソンは応援したい。
あ、でも、そうそう、ブリー・ラーソン、走り方のフォームがあんまり綺麗じゃなくて、ちょっと残念だったかも。比較的骨太でアクションに説得力のある体型なので、敏捷性よりも柔軟性を魅せるアクションを見たいなと思った。

マーベル製女ヒーローという意味では、ブラックウィドウの映画に期待したい、『レッドスパロー』を別角度から上回って、スカヨハのキャリアに一区切りつけて、弾みをつけてほしい気持ち。

ところで鑑賞後に『ビリーブ 未来への大逆転』を見たんだけど、「感情的すぎる」と言われる女、「もっと笑ったほうがいい」と言われる女、女性を取り巻く抑圧の数々が怒涛のように描かれていて、『キャプテン・マーベル』という作品を理解するための副読本、補完資料として見ることができて苦笑した。今作にピンとこなかったひとに見てほしい、理路整然としてわかりやすくなかなか溜飲が下がった。

それから全くの余談なんだけど、インテリジェンス様という名前には笑ってしまった。
相手の望む姿になる、知恵者であり抑圧者、その設定から『オズの魔法使』を連想して、アメリカ映画で、女性ヒーローの物語を語る上でベースとなるのは、どこぞの国の女神神話よりも、アメリカが生み出してきた物語、その筆頭としての『オズ』なのかもな…と思ったりした。
2018年ゴールデングローブ賞でTIMESUP運動に賛同する女優たちが『オズの魔法使い』の一文「カーテンの向こうには男がいた」にちなみ、エメラルドの都からの引用でエメラルドを身につけたという逸話、凄まじいハイセンス、ハイカルチャー、なにその教養、企画力、と頭ブン殴られた記憶が根強く、思わず連想。
2017年にケイシー・アフレックに拍手しなかったブリー・ラーソンの主演作、もっと刺激的でもよかった、今後に期待。


以上、備忘録。
るる

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