≪創作の話≫
昔、お笑い芸人をやってまして、随分長いことやらせてもらったんで、漫才もコントもたくさん作った。
2分や3分のネタですが、それは俯瞰すれば1つの映画なわけで
繋ぎ目や、リアリティを大事にするのと、いかにアドリブっぽく見せるか。それがネックになる。
コントで、隕石が地球に飛来するというネタを作った。
隕石を止めるために、ヘルメットを被る相方が英雄よろしく、戦場に向かう。勿論、死ぬわけで、内心ではやっぱり行きたくない。でも行きたくないって言えない。
ぼくは隕石と地球の距離を調べる学者の役で、相方にすべてを託す。
相方は電話を取るふりをして、そのヘルメットをぼくに被せる。
ん?これはぼくが隕石止めにいかなあかんかんじ?何これ、どういう状況?ってなって、お互い理由を見つけてヘルメットを被せあうコント。
行きたくないって感情は絶対出さずに、お前が行けよ!って無言の圧力をかけるコント。
難しかったなぁ。
このコント、クソすべってアンケートに
「ヘルメットで隕石は防げないと思う」って書いてた。
確かにーっ!!!
プリデスティネーションって作品を見た。
ジャケットが、ださいので普段なら絶対見ないがfilmarksやってなかったら目にも止まらなかったことでしょう。
結論から言うと、何が面白いのかわからなかったのだが、これはぼくが理解できていないのか、求めている点と面白い点が一致していないのかの二極になる。
タイムパラドックスを扱った作品は映画以外にもたくさん触れた。
この作品は本当のことをやりすぎて、嘘を入れることができなかった作品である。
タイムパラドックスという事象は俗に相対性理論や、カオス理論なんかで見られる、理論的に証明されつつも
実現が不可能に近い理論であるために、
いかに、嘘を本当っぽく見せるかが味噌になる。
いかに自然か。
これは序盤から本当のことだけを散らせすぎて、映画で必要な嘘のスパイスを入れることができなかった。
メインのキャラクター
仮に事象A、事象Bとして、この作品でいえばAとBが混じりあうことはない。いわゆる逆説になる。
さらにこの作品で大きな主題になるのは、AとBの関連性にある。
この作品のオチが二人の関係性にあるのなら、真実を序盤に見せすぎてどうにも展開が読める。
どうせなら、最初に二人の関係性をバラして逆に風呂敷を開く形式にしてほしかった。
この作品のカタルシスが
二人の主体性、わかりやすく言うとAとBが交差する時間軸を公開するところにあるのなら、
それを目指すためのヒントが既に出し尽くされていた。
結果的に何も残らず、安易なプロットになったと思う。
逆に、この作品はラストではなく作品全体を味わう映画だ!と誰もが豪語するのなら、この作品はぼくには合わなかったということである。
映画を見るうえで真実だらけのリアリティなんて誰も求めていないし、
それは映画ではアンリアルである。
嘘をいかにリアリティがあるように見せるか。
ネタをいかにアドリブっぽく見せるか。ってこと。