磔刑

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生の磔刑のレビュー・感想・評価

1.2
「映像は魔法(CG)でどうにかなっても脚本はどうにもならない」

ダメな部分が多すぎて列挙するには骨が折れるし、したくもないのでその中でも最大の欠点を挙げるのなら、それは主要キャラクターの法外な数ゆえの視点(ドラマ)の多さである。キャラクターが多い事自体に問題はないが、コントロールできないのなら話は別だ。
登場人物各位の目的が全く違う為(羅列するだけでも多すぎるのでコメント欄に別記)、場面が変わる毎に全く違う話にシフトするので必要以上に話が入り組み、無益な疲労感、虚無感に襲われる。個々のドラマの概要を脳内で整理整頓し、把握するだけでも一苦労なので、とてもじゃないがドラマに没頭する余裕など生まれる訳もなく、キャラクターの感情移入するスキなど微塵もなく、人気シリーズの作劇方法としては完全に失敗している。

終盤、散り散りになったキャラクターが墓地に集結し、散漫となっていたドラマのあらましが説明されるのだが、この場面の演出も“最悪”で、ポッと出のモブの黒人2人の出生をベラベラと口頭(セリフ)で説明するのだが、ただでさえややこしいドラマ構成が続いた後に延々と感情移入が完了していなキャラクターの思い出話をタラタラと説明されても全く興味が湧かない。しかもご丁寧に回想シーンを挟むので物語の推進力が完全に停滞して、退屈極まりないシーンとなっている(この場面以外でも何度か回想が挟まれ、物語の前進しようとする勢いが完全殺されている)。
更に最悪は重なり、そのモブクロンボ×2の説明を「興味ねぇわバーカ」って上の空で聞き流してたら、なんと!ニュート(エディ・レッドメイン)も画面の隅で退屈そうにボケーっと突っ立ってるだけで、「あの人…たしか主人公ですよね?アレ?あの人の活躍を見に来た筈なのに…」って虚しい気持ちにされ、ホントいったい何を見させられてるか、何に期待して劇場にまで足を運んだのかすらわからなくなった。

しかも大ボスの風格で登場した(?)グリンデルバルド(ジョニー・デップ)も作品内でこれといった活躍もせず、最後は文字通り演説って…最近の洋画の演出力の邦画化はパネェッて。さらに集会をどの様な形で収めるのかと思ってたら、「俺らは何もしてないで!アイツらが先に殴ったんや!!みんなに言いふらしたろ!!」って…マジで何の話してんねん…中学生のホームルームとちゃうんやぞ….。しかもそれに感化されて「グリンデルバルドさんのそこに痺れる憧れるゥ!」って…これギャグ漫画でしたっけ?
それに名前がタイトルにまでなってるのに、“何者なのか”、“何が目的なのか”、“過去に何をしたのか”、他のキャラクターとの関係性は”、というキャラクターの根幹の部分全てがボンヤリしてて、演じてるジョニー・デップの存在感だけで何とか説得力を保ててる感が否めない。

更に更に此の期に及んでこすり倒されるWWⅡ、ホロコースト、キノコ雲。マジでアメ公成長してねぇだろ。いつまで過去の栄光に縋って「俺たち(連合軍)は良い者、ナチス悪者」とか幼稚な事言ってんねん。原爆使った自分たちの道義的責任は横に置いといて、原爆批判しとんちゃうぞ。
はぁ…陳腐になりがちなファンタジー世界をそうさせまいと神経使って演出すべきなのに、自分たちで陳腐化させてりゃ苦労せんわ。そんな社会派(笑)ぶった作品がやりたければ『ハリーポッター』シリーズの力を借りずに全く新しい作品でやれや腰抜けが。

話は至ってシンプル、グリンデルバルドを倒す。この一点だけに絞ればよかったものの、あれやこれやと不必要な謎解き要素を詰め込み過ぎ、その為だけにキャラクター数を水増しした結果、主人公が狂言回し以下の死に体になるっていう割と笑えない状態になっていた。映画の脚本を書くのに小説家は適切でないって偉い監督が言ってたけど、正にその通りだね。ワンチャン小説なら面白いかもしれないけど、これ映画だからそんな言い訳通用せんよ。
デビット・イェーツが監督として二流なのは明々白々ではあったが、今作で露呈した脚本担当のJ・K・ローリングの悪癖と合わせて鑑みると、今作の失敗が偶発的なものではなく、一作目の成功が偶然の産物だったんだなぁ、と少しセンチな気分にさせられる。

私の希望は単純明快。一作目同様に魔法動物と戯れる自由奔放で天真爛漫なニュートの活劇が見たかっただけだし、そう思ってた観客も少なくないだろう。だが、よりにもよってその一作目の最良にして最高の部分を尽く抹殺した一作目とは全く別物の三流ミステリーに成り下がっているのには失望しか感じない。
実際、ラスト盛り上がりの場面も、100 %VFXに頼り切った演出で脚本家の能力や監督の演出の手腕もクソもねぇなって感じである。それに一作目だってエディの演技に頼り切ってた部分は多分にあるので、そこを完全に排除してクソしか残らないのは当然と言えば当然結果である👹

無理矢理良い部分(☆1.2点分)を探すならエディはホントに頑張ってた🥺主人公とは思えない程の冷遇にも関わらず、一作目から変わらぬ愛嬌を振りまき、その健気な姿(報われない役者魂)には涙が出ますよ😭
新たな魔法生物達も壊死した作品に微力ながらも躍動を与えており(今作もニフラーの可愛さは最高だよ🥰)、ホントこの二つの柱だけで支えられてる住むには耐え難いクソ物件だなと、ひしひしと感じさせられた。

風呂敷を広げるだけで問題は全く解決に向かわず、過剰なモノローグから見て取れる“守るべき今や未来を無視して、変える事の出来ない過去にすがりつく”だけで問題解決(ストーリーの前進)は1ミリ足りとも進まないトホホな内容は、映画なら『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』、漫画なら今週で恒例の休載に入った『HUNTER×HUNTER』と酷似している(ツインクロンボの独白はリハンのモノローグに通じた作家のエゴ丸出しの自己満足でしかない)。
もうね、類似二作と同じでダンブルドア(ジュード・ロウ)やホグワーツなどの過去作との繋がり(ファンサービス)さえ出してりゃ喜ぶ盲目なファンか、カップリングにしか興味がない腐女子にしか需要のない陳腐なシリーズに成り果ててしまった感は否めない。

あと、ダンブルドアが過去作同様の無能っぷりで辟易したよ。なんだよホモ同士で交わした淫紋で何もできねぇってww笑わせんなww恥を知れ!クソホモジジイが!!しかも「多分解けるよ!多分ね!」っ推進力を妨害する小さな要因すらもまともに解決出来ず、ホント次作への期待感なんか皆無ですよ。
こう尽く、鑑賞するにあたって自宅に脳みそを置いてくる事が強いられる映画ばかり観てるとマジで映画が嫌いになりそう。映画が映画のネガキャンしてどうすんだ。
磔刑

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