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心が叫びたがってるんだ。の純のレビュー・感想・評価

心が叫びたがってるんだ。(2015年製作の映画)
3.5
心が叫びたがってる。じゃあ身体はどうなのか。口は。喉は。頭は。

過去のトラウマから、必死に口を塞いで、声を殺して、思考を遮断しようとする主人公。自分がおしゃべりなせいで家族はバラバラになった、自分がおしゃべりなせいで皆が不幸になった、自分がおしゃべりなせいで…!呪いのようにつきまとう罪悪感と嫌悪感。そして実際に、順は卵の呪いにかかって声を封印されてしまう。正確には、声を発すると腹痛に苦しめられる、っていう呪いなわけだけど。

そんな主人公に訪れた転機が、「地域ふれあい交流会」の実行委員に指名されたこと。表面的に人と付き合う拓実、過去の恋愛に引きずられている菜月、怪我により行き詰まっている野球部本エースの田崎。それぞれがわだかまりや傷を抱えながらも、順と一緒になってひとつのイベントを成功させるために力を合わせる。

1人じゃ無理でも、皆でならできたね。そんな映画ではないと思った。この映画では、あくまで交流会を通してひとりひとりが自分の前に立ちはだかる壁を壊し、殻を破り、一歩前に踏み出す話なんだと、私は言いたい。ひとりひとりが、自分の問題にきちんと決着をつけようとしていた。ひとりひとりが、より良い自分になりたいともがいた。そんな汗だくでみっともないかもしれない青春が、皆で成し遂げたことは成功しても個人的には何かに敗れたり涙したりした青春が、実は1番眩しいのかもしれないと、言っていたい。

順はあまり万人受けするヒロインではないだろう。自己中心的に見えて、感情が抑えられなくて、きっとひとを苛つかせることのほうが多い。繊細すぎる。でも、繊細じゃない人間なんているもんか。ほんの少しのことで気を揉んだり、悩んだり、苦しんだり、そんな全力な姿を、「ウザい」みたいな心ない一言で貶したくない。皆、順みたいな一面をどこかに持っているはずで、苛ついてしまうとしたら、それは順にではなくて、自分の中にいる順の一面に、嫌気が差しているんじゃないかな。別に、嫌いでも良いと思う。嫌いでも良いけど、でも、そういうわがままさがあるままでも、良いんだよと声をかけたい。自分の臆病なところも、何度も失敗してしまうところも、その度に抱く劣等感や嫌悪感や焦燥感も、全部自分しか知りえない大事な感情なんだから、自分ひとりくらい、大切にしてやれよ、お前の感情はお前の分身だろって、語気を強めて言ってしまいたい。不完全で未熟な自分を、ひとはもっともっと認めてあげて良いはずだ。

未熟さといえば、菜月が拓実に言う、「それってつまり成瀬さんが好きってことでしょ」って発言が好きだった。正確には、好意をすべて恋愛事情につなげようとする短絡的思考に辟易しながらも、そういう風にしか考えられないほど必死な姿が、とても可愛らしいと思った。感情は抽象的な言葉でしか言い表せないから、そのひとたちだけの具体的な関係性を、大切にできたら良いね。頑張ってるあのひとを応援したいとか、あのひとが待っていてくれるなら頑張れるとか、そういう仲で、それぞれのひとたちと、付き合っていきたいな。

心が叫びたがってる。じゃあ身体はどうなのか。口は。喉は。頭は。身体だって叫びたがってる。声を超えて、歌に乗せた思いも、きっと歌詞とは多少ズレがあって100%伝わりはしない。でも、だからこそ身体全体で表現できるミュージカルが、順には向いていたのかもしれない。悲愴とOver The Rainbowのマッシュアップ、本当に素晴らしかった。叫びたがっている心と身体を、解き放ってくれてありがとう。
純