あとくされ

心が叫びたがってるんだ。のあとくされのネタバレレビュー・内容・結末

心が叫びたがってるんだ。(2015年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

むむむ。評価欄を見てるとあまり好評をつけている人がいない…。

この作品はよかった。
思春的でのひとの成熟を描いた作品であり、そうした鑑賞線を補助するフックを仕込んでくれている。目立つのは性的な事柄だろう。ヒロインが幼い頃にわからなかったお城の正体はラブホだし、主人公が登校途中で出くわすジーさんの口からはイイオンナとやりたいという願望が告げられ、クラスメイトはラブホに行くか行かないかやら隠れてチュッチュくやらと、とにかくセクシャルなのだ。

ーーで、ヒロインはうまくしゃべれない系の女子。理由はラブホ。大人の世界に触れてしまった罰としての呪い。これがまた性的なのだな。
思い出すのは統合失調症が、性的な自己を意識しはじめた頃に発症するという事実。性的であらんとすることは喪失と挫折の可能性を常に孕むもの。フロイトを参照しなくとも、鑑賞者の来歴を省みればさもありなんだろう。異性が強く異性として意識に現れてきたあの頃…性はまさに存在の自分の切実な問題だったはずだ。ヒロインはそれに、幼い頃に、おしゃべりで、且つ夢見がちであるという理由から幸せに破滅をもたらしてしまった。好奇心は複数形の命を持つ猫を殺す。ーー代償としての呪いだ。

性、性、性だ。
セックスしたいとかそういうことじゃない。性的であらざるをえないがゆえに、性的である自己と折り合いをつけなければならないということ。それをしゃべらなければならないということ。しゃべれないなら、歌わなければならないということ。

なぜ歌なのか。
それは、歌は感情と表裏だから。そして感情はココロのことを示し、ココロはコトバを紡ぐ根拠と寓されるから。
そしてコトバはダレカに届いてしまうもの。そうしたダレカとの付き合いのなかでしか、性的な自分であることも、になることも、ままならない。

本作でも、カタルシスは性的である自己の肯定としての、告白によって表現されている。それは は伝えることができた自分であり、その想いが叶う必要もない。

ヒロインの異性への決意は、自身のみならず周囲をも巻き込む。
あとくされ

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