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ひそひそ星のmegurimeguruのネタバレレビュー・内容・結末

ひそひそ星(2015年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

※この映画は、レビューを見る前にまず鑑賞した方がいい。園子温と鑑賞者の間に、第三者の解釈を入れない方がいい。
まだ見ていないなら、すぐにこのページを消して下さい。

 ある人との会話に触発され、ここ数年、園子温監督の新作映画を見ていないなーと思って鑑賞。やはり勝手な決めつけはいけない。それは素晴らしい作品との出会いを阻害するなにものでもない。

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「20億光年の孤独に
 僕は思わずくしゃみをした」(谷川俊太郎)

 人類が絶滅種と認定される程に減少し、人工知能8割、人類2割となった時代での、宇宙船に乗って孤独に旅する配達員、鈴木洋子のお話し。
神楽坂恵さん演じる鈴木洋子は、単3電池で動き、2体以上製造されたアンドロイドだ。しかし、鈴木洋子は爪を切るし、孤独の中で思わずくしゃみをする。タバコを吸うし、人を真似て靴にはまった空き缶を取らない。
 時折みせる人間らしい非合理性と感情が愛おしい。モノクロの映像の中にある確かな感情が僕の心を惹き付ける。

 僕が持つ、カラフルでバイオレンスでエロチックな園子温映画のイメージとは正反対に、モノクロで静穏な映画。そして、「希望の国」以来の完全な社会派。

 撮影地は福島。エンドロールはないが、冒頭において、浪江町役場、南相馬市役所、富岡町役場、浪江町の人々、仮設住宅の人々が映画に協力していることがわかる。
鈴木洋子が配達のために降り立つ星は、そのほとんどが荒廃した街。
「人類はあれから
何度となく大きな災害と
大きな失敗を繰り返した。
その度に人は減っていった。
宇宙は今、静かな平和に包まれている。」
というのが設定。

 また、題名に示されるとおり、登場人物は全員”ひそひそ”と話す。大きな声で話すことが悪であるかのように。30デシベル以上の物音をたてると人類は死ぬ恐れがあるとされているからだ。デシベルは、おそらくベクレルの暗示。さらに、作業着を洗濯機で洗う描写が幾度かある。これは、おそらく除染の暗示だと思う。
 「人類だけが住んでいる最後の星」においてシルエットで描写される人々は、過去のフクシマを描写したものなのか、現在か、それとも未来か。フクシマ以外の土地に住む人間なのか、地域の限定のない人類全体を表したものなのか、はたまた特に暗示の意味がないのかが、僕にはわからなかった。
 
 この映画で再確認出来ることは、2011年から現在にいたるフクシマを風化させてはならない、ということ。「オレは忘れてねーぞ。お前らはどうだ?」っていう園子温監督の問いかけだと、個人的に感じる。

 最後に。
この映画の世界にはテレポーテーションの技術が存在し、それを使えば宅配便配達員は不要なものとなる。しかし、人間がテレポーテーションを利用することは「距離と時間に対する憧れ」を失わせて、人間の感情を退廃させることから、人間はその技術を使わないようになった。鈴木洋子いわく「距離と時間に対する憧れは、たぶん…クシュ!…人間にとって、心臓のトキメキのようなものだろう」。
そして、鈴木洋子はアンドロイドではあるが、彼女も配達のために「距離と時間」に向き合う存在だ。上に書いた、彼女が時折みせる愛おしさは、宇宙の旅の中で、「心臓のトキメキ」を感じているからなのかもしれない。

ま、知らんけど笑。
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