わたふぁ

テラスハウス クロージング・ドアのわたふぁのレビュー・感想・評価

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今やってる最新のテラスハウスの配信を待ってる間に古いやつをチラ見...、というか「今まで何度か整形してる」と公表した聖南さんの顔が6年間でどれだけ変わったのか見比べてみたくて(だいぶ変わってる)、チラっと再生したら今より全然おもしろく&トレンディ満載で、自分も6歳、年を取ってるのに再びハマってしまった。
ので、今しかないと思い、公開当時から評価が低い劇場版を今さら鑑賞。笑

哲っちゃんが家を出ていく日=最終回の日もOAで突然知らされ、ショックを受けながらも事実を受け入れ、部屋探しを始めて、引っ越し準備をして、意を決して玄関を出ようとしたのだが...。という始まり方は、台本が無いとは言え、人の気持ちを弄びすぎじゃないか、とちょっと残酷な気もしたが、
テラスハウスはドイツ映画[es]のような人間の“心理実験”的な作品として好きだし、「cube」とか「saw」のようなワンシチュエーションスリラーとして楽しんでいるところがあるので、
この、突然現れた“台本がありそうな”謎の女性・佑依子(24才)と、何がなんだかわからないままの“台本のない”哲っちゃん、、というフィクションとドキュメントが交差する曖昧なスタートが良かったです。

しかしその後は、新たな6人での共同生活が始まって、至って通常運行のテラスハウスでした。

映画という短尺のなかで、出会って、仲を深めて、恋愛したり、友達を作ったりすることになるので、1weekずつ見守っていく本家とは全く違って、スピード感も早くなり、感情移入させるタイミングもないまま話が進むので、本来の良さが消滅しちゃっている。
あそこで終わってたら哲っちゃんの物語、綺麗だったのに。残念。

あ、でも一つ映画化することで面白かったのは、出演者たちが毎週のOAを見れずに生活や恋愛をしなきゃいけないところ。
通常は出演者たちも視聴者と同じタイミングでOAを見て、初めて知る事実があったり、知らなかった相手の感情を知る場合もあって、それを見て反省したり学習したりして関係を築いていったけど、映画の場合は物語が完結してから全てが公開される。OAありきのテラハ生活に慣れている哲っちゃんには地味に厳しいルール変更だったのでは、と思う。

あと、哲っちゃんが坊主頭に戻したラストシーンが良かった。放送で終わった時は、髪型も服装も顔つきも変わって「少年から大人になった哲」だったけど、坊主に戻すと「背伸びしてただけでやっぱり哲っちゃんは哲っちゃん」になって、坊主という外見は同じでも、強くなった内面にともなう凛とした表情が2年前とは全然違ってるのがわかった。

結局、大人の事情がもりもり絡んでそうなダサ〜い映画化でしたが、、ファンとしては、まあ満足!