このレビューはネタバレを含みます
どら焼きが、生地とアンどちらか片方だけでは成り立たないかのように、長い時間をかけ出会うべくして出会った人たち。
ワタシの家でカゴの中にとどまっているインコちゃんを、外の世界に放してやりたくなった。「布団の外は危険だ」じゃないけれど、外の世界に危険が存在していようと、カゴから放してやればインコちゃんは死ぬまで伸び伸びとして生きることができるのかもしれない。
帰り道、和菓子屋さんを見つけては、店内にどら焼きは置いていないかと覗き見ては諦めた。どら焼き屋さんは思っていたより多くはない。ドラえもんの4次元ポケットみたいに、欲しい時にホイホイ出てくるような街や社会じゃなかった。
その代わりに、たい焼きを買ってみた。しかし粒あんではなくて抹茶あんだ。もっと言えば白玉入りで抹茶クリームにあんが少しだけ練りこまれているタイプ。そこは空気を読んでシンプルに粒あんにするべきだった。しかし美味い。
なんてきれいな雨上がりなんだろう。なんてきれいな街並みなんだろう。空は曇っていなけれど、今日は素晴らしく気分がいい。休日を休日らしく過ごせた。
今日1日、伝えたい気持ちは恥ずかしがらずその場でさらっと伝えられた。コーヒー屋さんの店員さんや、洋服屋さんの研修生に。本屋さんのお姉さんとも。また顔を合わせる日が来るかもしれないし、もう二度とないかもしれない。他人の人生に、左右されたり干渉したりするもんじゃない。
でも
なにか、ワタシが発するものを通してその人達の1日が「今日はなんだか清々しかった」となるとするなら、共にせずとも同じ日を共に生きている感触が味わえる。
それが、「どら焼き」かもしれないし、もっと言えば「あん」かもしれない。filmarksのレビューかもしれない。なにかを狙う必要はない。響くものは勝手に響くし、そうじゃないことのが多いか少ないかもよく分からない。ワタシはそのモノコトに対して真心をもって向き合っているだけ。
すべては、ワタシの人生の雲を遊離させたり吸い寄せるみたいにしながらその時々の時間の中で泳がされているんだと思う。
そんなことを思いました。
見る前に、ポスターを眺めながら樹木希林さんが「あん」という名前で、この作品はあんの生き様を描いているのだろうなと、単純にそう思っていたから、餡だったのかと。餡を通じて、彼女は生き続けているのだなと。わたしも餡のように、何かモノコトに代わって第二の人生を生き続けることに憧れながら第一の人生を生きている。なにかを狙うのは良くないと知っていながらね。
今日はここまで。