GUMI

怒りのGUMIのネタバレレビュー・内容・結末

怒り(2016年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

なんで妻夫木くんってノンケなんだ…ゲイの才能が溢れまくってたぞ……誰か優馬と直人の薄い本出してくれないかな。
この悲恋、クオリティがあまりに高すぎるからここだけで終わらせるの勿体なすぎる……





じゃなくて………


またとんでもないモノを作ってくれたよ このタッグ。
ただでさえ演技力の高い役者たちが限界突破するのを目の当たりにしたことに震えが止まらない。
なんてパワーを引き出してくれちゃったんだ。引きずり込まれる。
登場人物らの人生と自分のとでは何の共通項も無いのにそのパワフルさに突き動かされて、ずっと込み上げるものを我慢していた。



どの人物も掘り下げ甲斐がありすぎて頭がとても忙しい。
ざっくり「重かった」で終らせてしまいたいけど各々味わい甲斐のあるキャラクターだから困る。


とにかく俯瞰と寄りの画の緩急が巧み。
人物の表情から心情を読み取らせておいてからの俯瞰。人物らに共感させてから俯瞰視することでいかに日常とかけ離れたところに居るかを理解させる。
最後、順番に各人物を映してったけどみんな何かを悟った瞳をしていてハッとした。
苦しむ姿を見せられて何とかしたい(寄り)、けどどうしようも出来ない(俯瞰)という思いが延々と渦巻いて重厚だった。



通して一番残ったのが犯人の動機と思われる証言。
他人を見下すことで自分を保ってる人間が被害者にお茶なんか出されたら…

他人の親切心を「優しさ」と捉えられるって自分に余裕があるからこそ出来ることなんだな。
自分が他人を手伝ったりする時ってよく考えたら自分に余裕がある時だけだし。
この犯人ほどマウンティングな思考ではないにしろ、0.01%くらいは相手を見下しての行為なのかもしれない。自分の中のどこかしらで お茶を出して"あげる"とか、手伝って"あげる"っていう表現になってる自覚がある。
これは今後 生きてく上で新しい捉え方だった。

単に「優しさ」と捉えられないのもこの作品のテーマであろう「信じる」ことをしてくれる人がこの犯人には居なかったからなのかね。
信頼されることって心の余裕を生む要因になるよね。



信じてしまった後悔と、信じなかった後悔。
「信じる」ことって自然発生的なことだから神秘的でもある。
相手の行動や言動を見て、それを自分の引き出しで相手の意図を判断する。その繰り返しで生まれるものに形はない。
「この人なら分かってくれそう」「この人と居ると落ち着く」「この人との時間が幸せ」
その形の無いものを共有できたからこそ相手を大事に想う。

自然発生だからこそ確固たるものではなくて、「信じる」ことに一瞬でも不安を覚えると同じ目で相手を見られなくなる。
一瞬抱いた不安がために相手を傷つけてしまう後悔に打ち勝つことや相手との距離を埋めるのは至難の業。
ましてやこの作品の中では自分の罪意識を償うための相手がこの世から居なくなってしまった者もいるんだからもう…(何も言えねえ。



エンドロール時はお客さんみんな座席に磔の刑にされたように余韻を味わってました。
原作読んでから観るべきだったと少し後悔。
GUMI

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