ローズバッド

シン・ゴジラのローズバッドのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
5.0
ボルト&ナット、スクラップ&ビルド

TV初放送で久々の観賞。白熱した賛否の議論も収束した現在、あらためて観ると、やはり傑作だと再認識した。邦画最大のコンテンツ「ゴジラ」に、「一般の大人向けで大ヒット」という新たな道を切り開いた功績は偉大だ。かの国、米国の映画界も過去のヒットコンテンツのリメイクばかりだが、『シン・ゴジラ』ほど一作目の精神を継承しながらも、現代的なテーマと作劇に換骨奪胎できている作品はないだろう。

劇場での観賞時は「ゴジラの第一形態は、ミニラだろ!背中や尻尾から放射熱線出すなんて、ゴジラ映画の血脈を汚すつもりか?」という違和感だけは、どうしても拭えなかった。しかし時間が経ち、その事が、ゴジラ映画を未来へ自由にしたのだと思える。
___
異常に速いテンポの会話と編集、異常に乱発する長文テロップの情報量。庵野秀明でなければ、こんな過剰な演出方針は選べなかっただろう。最もフレッシュに感じたのは、会議シーンの撮影の構図。テーブル上のマイクが整然と並ぶボケの妙味。人物の後頭部の隙き間に小さく捉える話し手。がらんとした執務室のテーブルなめの全景、奥に小さく人物。「作為的にもほどがある」と言いたくなるような、ひねた構図の連発で、閣僚・官僚がジタバタと対応に追われる無様な姿を捉えることが、空疎で軽妙なギャグ演出となっている。

そう何よりも、日本では珍しい「政治風刺コメディ」に大爆笑、大満足した。省庁の縦割り組織、会見の為の防災服、会議の名目が変わるだけで部屋を変える、などなど行政システムの複雑な段取りのすべてが滑稽だ。それは、われわれ人間の作る社会というもの自体が、いかに滑稽であるかを思わせる。

風刺ギャグのキラーフレーズとして、耳馴染みの「想定外」が連発される。同じく揶揄ネタとして破壊力抜群の「ゴジラは“アンダーコントロール”です!」というギャグを、首相の大杉蓮に言わせるものだと期待したのだが…。制作者は当然思いついているだろうが、現政権を揶揄することによって、作品が左右どちらかの政治思想を持っていると誤解されるのを避けたのだろう。同じ理由で、国会前に集まった市民デモの声も「ゴジラを守れ」「ゴジラを倒せ」の両方に聞こえるように出来ている。政治風刺コメディとして非常に周到なバランスをとっているが、バランスをとらなければ、エンタメでの政治風刺を笑いにくい、という社会は不健康だとも思う。

本作は、登場人物の背景は説明せず、人情ドラマを排し、ひたすらに具体的な事象だけを積み重ねる作劇法「ボルト&ナット」で、日本の「スクラップ&ビルド」の可能性を描いた作品といえるだろう。「お涙頂戴」ばかりのメジャー邦画のなかで、非常にクールな作劇が、一般客層に内在していた欲求にヒットした。為政者だけが描かれる物語が不充分だという意見もあるが、その場合は、同じくアフター3.11映画といえる『サバイバルファミリー』を『シン・ゴジラ』の一般市民側からの視点として捉えてみると、補完できて面白いかもしれない。
___
「スクラップ&ビルド」の創作物を観て、短絡的に「この国はまだまだやれる!」と鼻息を荒くしてしまうのには辟易する。保守系のYOU TUBERが、「自衛隊のカッコ良さ・攻撃命令を下す総理大臣・日本人の底力」という希望を見せてくれた、などと喜んでいて、気味悪く感じた。昨今流行の「日本を褒めるTV番組」を見て、意気揚々とするぐらい馬鹿馬鹿しい。

いっぽうで、保守系メディアにおいて、政府機関に関与している大学教授が、鼻息の荒い連中に、冷静な苦言を呈していた。「スクラップ&ビルドで物事が好転するというのは幻想であり、結果はスクラップ&スクラップにしかならない。政策は半歩ずつしか改善しないことを認識すべき。」例として、フィリピンのドゥテルテ大統領の超法規的な麻薬撲滅作戦が、市民同士の間に50年100年続くであろう、恨みの亀裂を生んでしまっている事を挙げていた。
___
ただひとつ不満な点、石原さとみの日系アメリカ人設定(しかも大統領のイスを狙う超エリート)と発音だけは、いまだに受け付けなかった…監督の意図は理解したうえで、申し訳ないが、アホにしか見えない。

さて、実写ゴジラの続作は当然企画進行中だろうが、庵野秀明が一度壊した「ゴジラ映画」を、誰が、どう組み直すのか?楽しみに待ちたい。