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母と暮せばのmhのレビュー・感想・評価

母と暮せば(2015年製作の映画)
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井上ひさしの戯曲「父と暮せば」と、それを原作にした黒木和雄の映画「父と暮せば」の対になるように作られた山田洋次の吉永小百合もの。
シンプルでクレバーな会話劇だった「父と暮せば」に対して、こちらは少々複雑。どちらも原爆犠牲者の話だけど、舞台を広島から長崎。幽霊役は父親から息子に変更。原爆症が話に関わってこない展開に変わっていた。
ふたりきりだった登場人物をかなり増やして学校の先生や復員局や闇ブローカー、傷痍軍人についてのプロットが新たに加わっている。山田洋次なのでクレバーという点は万全だが、スローテンポにしてあるのがちょっとだけストレス。
原爆で死ぬ息子→内地に残ってる健康な若者ということは徴兵免除になっている医大生→だったらその母親は助産師であろうという作為的な人物設定をそれと見せないのがまじ巧い。
詳しくやっちゃうと、その日は夏休みではなかったのか? みたいな疑問も出てきちゃうけど。
戦争と原爆を生き残った母親が、次第に孤独になっていくという描写が思った以上に残酷。闇物資に手をだすなとアドバイスする愚かな息子がまたいいよね。息子は想像の産物という設定なので、息子を使って衰弱していくこと自己正当化してるだけなんだけどね。
息子が町子の結婚に最初反対したのも、母親の心を代弁させてたんだろうな。
映画的ファンタジーでハッピーエンドにしてしまうやり方が個人的に好みなことも手伝って、かなり面白かった。山田洋次も吉永小百合も苦手なのに、十分楽しんだ。
黒木和雄「父と暮せば」は戯曲を再現することに主眼が置かれていて、映画化する意味が希薄だったけど、こちらは映画でしかできない表現がいくつもあって素晴らしい。
レコードが宙に浮いたりとかって、戯曲じゃ無理だもんな。原作の戯曲にあったサバイバーズギルドという大テーマは脇に押しやられちゃったけど、それを補ってあまりあるストーリーになっていた。
戦記ものや戦争文学を読んでるとよく出くわす、「大きなため息をついたと思ったらなくなっていた」というのをやってくれた。
「ある日どこかで」っぽいホワイトアウトが決まったと思ったら、宗教がかった素人コーラスがはじまったのびっくりした。なにあれ。やばない?
ただ、吉永小百合ものになってしまったのは素直にもったいないと思う。
存在感があるわけでもなく、演技がうまいわけでもないのに、なんでそんな重宝がられてるんだろうな。
映画の余韻にそういった夾雑物が混ざるのがいちばんのデメリットだと思う。
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