OASIS

母と暮せばのOASISのネタバレレビュー・内容・結末

母と暮せば(2015年製作の映画)
2.8

このレビューはネタバレを含みます

1948年8月9日の長崎で、三年前に原爆で息子浩二を亡くした母伸子の前に、死んだはずの息子が現れるという話。

小説家・井上ひさしが広島を舞台にした戯曲「父と暮せば」と対になるものとして作ったものの叶わなかった作品を山田洋次監督が映画化したもの。
吉永小百合と二宮和也がW主演した映画。
基本的には二人の会話や室内のシーンがメインで、照明や衣装の切り替え、回想を織り交ぜながら進んでいく構成。
とにかく二人とも台詞量が多く、その台詞回しもやや大袈裟な感じが漂い舞台劇を見ているような雰囲気であった。

息子と再会する場面は驚くほどアッサリとその存在を受け入れるので全く幽霊らしさは無く。
「おっす、おら浩二」「あら、浩ちゃんそこにいたの?」という風に非常にフランクで明るいノリでやりとりが交わされ、当たり前のように会話が成立している事や帰ってくるのがごく普通であるかのように振る舞う様が不思議だった。

心温まるファンタジーのようでいて、時にジメジメとしたホラー的な描写も入り混じるという変わったバランスで、日常に戦争の傷跡が侵食してくる気持ちの悪さみたいなものを感じた。
戦死した浩二の兄が枕元に現れるシーンなんて、下手なホラー映画よりよっぽど恐ろしくて想像すると身震いが止まらなくなってしまうほど。
伸子も伸子で、柔らかい物腰でお淑やかであるものの闇商人から流れ物を買って逞しく生活していたりと、戦争というものが人を変えて行く様がブラックなテイストで描かれていて中々に攻めた内容でもあった
(おじさんに対する言葉が結構辛辣で笑ってしまった)。

自分が亡くなってから小学校の教師となった恋人・町子を想う浩二が彼女への未練を断ち切れるかという話がもう一つの軸になってくるが、町子と浩二は中々顔合わせする事無く進むので非常にヤキモキさせる。
未練を断ち切った母の前に現れた息子が、断ち切る事の出来ない想いにけじめをつける為に現れるという構成が「町子が幸せになる事が皆の幸せなんだ」と、伸子と浩二、または浩二と町子のような関係性の人達が数え切れない程命を落としたという事実を思い出させてくれた。

母と息子の、ある種行き過ぎた親子愛が行く所まで行き着いしまったようなラストは、それまで30%くらいで収まっていたファンタジー要素が一気に100%にまで膨らんでしまったかのようで唖然とした。
それよりも驚いたのは、まるで極楽浄土のような清浄で一点の曇りも無い画面に不釣り合いな群衆が所狭しと犇き合うエンドロールの気味悪さ。
いくら宗教色強めといっても、あの画は何か映画とはかけ離れた異質な物を感じざるを得なかった。