殺し屋をしている主婦

ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲の殺し屋をしている主婦のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

ムチャクチャな映画です。しかし、とてもおもしろい。


「雑種は徴税の対象」となった世界で起きる小さな軋みと決定的な破局、そして終着点。
まあ、人種差別についての映画だと思います。
いわゆるマイノリティの人々を直接描かずに犬を通じて物語を作っています。


犬にしつけをする飼い主を見て「わたしはあんなことしない」と主人公の少女が飼い犬のハーゲンに伝えますが、あそこは犬を飼ったことのある人は少し違和感を抱くシーンだと思います。いや、しっかりと躾ることこそ愛情だろう、と。実はあれはミスリードで、彼女が言っているのは命令という行為についてではなく、人間が上にいて犬が下にいるという構造を作ってしまわない、ということなのではないでしょうか。中盤コンサート会場に乱入した犬たちが二階席から人々を見下ろすことでその構造は逆転し、最後には同じ目線に立つ(寝る)ことになります。寝た人は一人も殺されていないですね(施設のおばちゃんも機動隊も)。


リリが吹奏楽をやっている意味がちゃんとあって良いですね。特に序盤と終盤に繰り返される、音楽に合わせて緊張感を高め、それが頂点に達したところで犬が乱入する、という演出はシンプルですがとても効果的です。


終盤の展開に余計な感情を挟ませないために、出てくる大人たちは例外なく犬に対して良い感情を持っていません。なんでそんなに理由なく憎むの? という話ですが、人種差別についての映画だからですよね。


主演のジョーフィア・プショッタを官能的に撮ってやるんじゃ! という意気込みも感じられて良かったです。


なぜ育ての親はその後一切描写されないのか、なぜ旅行先がオーストラリアなのか、なぜ父親は屠殺業者なのか、ホワイト・ゴッドとは誰か、このあたりを考えるといろいろ面白そうです。