茶一郎

仁義なき戦いの茶一郎のレビュー・感想・評価

仁義なき戦い(1973年製作の映画)
4.5
 全漢(男)必修、いや全人類必修映画。仁義なき世界で、ただ一人仁義を貫く男から仁義を学ぶ映画。
 第二次世界大戦から一年、戦争という大きな暴力に取って代わり発現した組織による暴力、その暴力に青春を捧げる男たちの生き様・死に様を描く実録ヤクザ映画が本作『仁義なき戦い』です。特にシリーズ1作目の本作は、主人公・広能(菅原文太)の青春映画としての側面が強く、ヤクザ群像劇をベースに「暴力についての暴力映画」として観客に「暴力」の空しさと戦後に生きる若者が感じていたであろう社会と大人に対する疑念を感じさせる作品に仕上がっているように思いました。
 
 広能を筆頭とする復員兵の若者たちは、ヤクザ組織に入る事で行き場を失っていた暴力の発散場所を得ました。ヤクザで盃を交わす事で交わる男たち、ヤクザたちは疑似家族を形成していきます。
 しかし若者を利用するのは、いつだって卑近な大人たち。ヤクザ同士の抗争が勃発すると、大人たちの「仁義なき」裏切りにより若者たちは利用されていくのです。
 
 本作が特に「戦後」の映画として印象的なのは、大人に素直に従い服役した若者・広能が服役後に見る世界の描写です。彼の世界における服役前後の変化は、まるで戦前と戦後の極端な価値観の変化、深作監督がしばしば語られている「戦争が終わった途端、大人たちが一気に『民主主義』を謳い、天皇は『象徴』になった」その日本社会の変化と同様のものに見えます。本作は笠原氏の脚本を深作監督が変えなかった作品として有名ですが、本作において広能が見た大人たちの変化は戦後の深作少年が感じたそのものなのでしょう。

 「仁義なき」暴力による裏切り、友情の崩壊。本作『仁義なき戦い』は、シリーズで最もポジティブで開けた終わり方をするので大好きな一本です。
 ただ一人仁義を貫いた男・広能が唯一、仁義の盃をひっくり返す。「弾はまだ残っとるがよ……」これに惚れない人間はいませんよ。
茶一郎

茶一郎