映画史的に すごい映画
主人公の男の子が弟に似ててそれだけがなんか受け入れられなかったなぁ、、(笑)
目から必死に情報を読み取ろうとして いつもより画面から目が離せない
だけど その作業は慣れていないせいかだんだん疲れてくる
耳がついていて 鼓膜が振動する限り 純粋にみることはできないのかなぁなんて少し自分がいやになったりもしました
結局は耳からも情報を得ようとしている自分がいるのに 聾者の気持ちがわかったような気がする というのは偽善かな、ってなって、、
でも ストーリーはわかったし監督も演者も本当にすごい!と素直に思いました
この映画は土地柄もあるし そもそもがトライブ(族)を描いているということもあるし こうならざるを得ないんだろうなぁとも思うと 観た後になにを思っていいのやら
ろう者は という視点より人間は と いう視点で悲観してしまいました
ろう者で悪事をしようとすると 彼らからしたら普通に 意図することなく 手話だけで伝わるからほぼ無音で犯罪が犯せる
だから結局は ハンディキャップや障害というより 個性や特性でもあって 勉強をして教養があって社会的地位があれば 健常者と変わらずに思えるし ただ用いているツール(言語)が違うということにもなる
( 中途障害だったらまた話は違うし、違う個性や特性をもつ人同士で生活している以上難しいことはいろいろあるけれど)
つまり彼らからしたら無音の世界が普通だから そこのなかでさらに人としての善悪が存在するな、って。ろう者だから仕方がない こんな暮らしでかわいそうって話じゃない
この物語のひとたちは 悪事に手を染めざるを得ない というストーリーなんだな という解釈にたどり着きました
結局、私自身がなにを思えばいいのかは いまいちわからないけど とにかく今までの映画とは違うというインパクトが凄かったし 観てよかった
違う視点で 健常者がろう者の生活を垣間見れる 辛いこと 難しいこと その中でもポジティブに生きているキラキラな様子とか わたしたちが耳に頼っていて気づけないもの 聞かなくても気づけること 健常者がろう者に気づかされるだけではなくまたその逆もしかりな物語 とかを手話だけで描いたものができたらいいなぁ、なんて 欲張りで勝手な妄想も しました( 。ᵕ ᵕ。 )
(美化かもしれないけれど 子どもも大人も感化されて 自分たちの生活に近くて楽しめるような 130分手話の物語があったら 必ず周りの人や子どもにも観せたいし伝えたいなっておもったから)
とにかく 手話は 相手にしっかりと気持ちを伝えるし 人の目をみて自分の表情や身振り手振りで感情を表現する 素敵なコミュニケーションのツールで それを映画に用いるのは素晴らしいな、ということでしたっ
すっごく長くなっちゃった
おしまい