映画漬廃人伊波興一

昭和おんなみち 裸性門の映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

昭和おんなみち 裸性門(1973年製作の映画)
3.4
傑作の多いその作品系譜の中ではいささか見劣りするものの、ノリにノっていた70年代・曽根中生の希薄な粘着性(!)と様式美を共に堪能できる無視できない一遍です   曽根中生「昭和おんなみち 裸生門」

才能のない者がまかり間違えて「映画監督」と呼ばれる立場になってしまい不遇の晩年を送るなんて珍しくもありませんが、「映画監督」以外に考えられない天才監督が、もしかしたらその才能ゆえに奇妙な晩年を余儀なくされたかもしれない例も映画界には存在します。

その一人が曽根中生。

既に若松孝二「壁の中の秘事」や鈴木清順「殺しの烙印」で個性的な脚本家として注目され、
デビュー作「色暦女浮世絵師」で非の打ちどころのない安定した演出力量を示してから10年弱の短い期間に40本近くの力作、佳作、傑作を絶え間なく発表。
その一方で相米慎二、池田敏春、長谷川和彦、荒井晴彦といったその後の日本映画を牽引する豊かな才能を育み、
さらに「嗚呼、花の応援団」三部作で日活の財政的ピンチを救い、

ロマンポルノ終焉後には、これまた天才横山やすしとの出会いからあっという間に身を持ち崩し転落するかの如く、忽然と公の場から姿を消してしまいます。
キネマ旬報や映画監督協会、かつての主演俳優たち、同僚監督や脚本家たちが消息を追っていたが、杳として知られる事はついにないままついには
「夜逃げ」「整形隠匿中」から「自殺」や「負債のためにヤクザに沈められた」といった都市伝説まで生じ始めた所、2011年の湯布院映画祭にいきなり姿を現し、実は大分県でサラリーマン生活をしていたと映画関係者、往年のファンたちを驚かせ、その三年後に76歳で生涯を終えるという、

まさに「波乱」などという言葉に収まりようがないスケールです。

(どなた様の人生にも必ず存在したにちがいない、呆気ないほどあっさり別離したために余計に印象的な異性のような魅力)

傑作としか言いようがない「私のSEX白書 絶頂度」や「天使のはらわた 赤い教室」。
そして個人的に大好きな「性盗ねずみ小僧」「不良少女野良猫の性春」「嗚呼、花の応援団」三部作、「スパーGUNレディ ワニ分署」などにはそんな曽根監督の人生と重なるような印象があります。

更に曽根映画のもうひとつの魅力は(にっかつロマンポルノ)という言葉が想起させがちな粘着性がやや希薄ながらもしっかりと息づく様式美でしょう。
本作「昭和おんなみち 裸生門」でも
「(秘)女郎市場」、「くノ一淫法 百花卍がらみ」「不連続殺人事件」「新宿乱れ街 いくまで待って」「性愛占星術 SEX味くらべ」などと同様に
朝陽や夕陽、ネオンなどの陽光をまともに受け止めた門、通路、裏通り、館の中庭、そして波が打ち寄せる砂浜などに
本物とは異質の色彩を加えられ、行きずりの男女の切なさを遺憾なく堪能できる仕様になっております。

インタビューによれば(商業目的化しそれに迎合せざるを得ない状況から出来上がった作品への自己嫌悪に耐え切れず、監督業をやめた)という曽根監督は晩年、大分県臼杵市内でヒラメの養殖事業に従事し、同所で環境配慮型燃料製造装置の研究開発に取り組み、「磁粉体製造装置」と「エマルジョン燃料装置」の2つの特許を取得していたというのですから本来は学者肌だったのかも。

でも彼はやはり(映画作家)という才能ゆえにその世界で生きて翻弄されたのでしょう。

つくづく(才能)とは恐ろしい、と思います。