らいち

クリード チャンプを継ぐ男のらいちのレビュー・感想・評価

5.0
問答無用の傑作。
「ロッキー」映画のスピンオフにあらず。「ロッキー」の魂を継承した堂々たる本流の誕生だ。本作が生み出されたことに強い運命を感じる。試写含めて2回目の鑑賞。高揚感に支配された1回目よりも、あらすじを承知のうえで観た2回目のほうが感動が深く涙が止まらなかった。
年末に差し掛かり、そろそろ2015年映画の総括というタイミングで一気にまくられた。

物語はロッキーのライバルであり、親友であったアポロに「アドニス」という隠し子がいたという設定から始まる。あくまで物語の視点は最初から最後まで主人公のアドニスにある。幼い頃に母を失い、身寄りがいないまま、施設をたらい回しにされていた少年時代。そんな不遇の少年がボクサーとして大成する話と予想するが、その直後であっさり覆される。少年アドニスはアポロの本妻メアリーに引き取られるのだ。その後の成長過程は省略されるものの、裕福な生活を送り、メアリーから息子同然の愛情と高等教育を受けたのだろう。成人となったアドニスは他人を思いやることができる精神をもち、金融会社で出世街道を辿るデキる男になっている。主人公は不自由のない優等生として描かれていた。まさかの変化球。

しかし、アポロから受け継いだファイターとしてのDNAはアドニスの中で強く脈打っていた。ビジネスマンとして働く息子を誇りに思っていた母に隠れ、アドニスはメキシコの地でボクシングの余興試合に参戦し続けていた。自分の父が偉大なチャンプ、アポロであったことは認知済みであり、父への憧れ、もしくは父の陰を消し去るために順風満帆であった生活を捨て、ボクサーとして活きる決意をする。そして、ボクサーとして成長を遂げるために父アポロを最も知る男、ロッキーの元に訪れるのだ。

本作はアドニスのドラマであり、ロッキーのドラマでもある。アドニスにはロッキーが必要であり、ロッキーにもアドニスが必要だった。ボクシングの世界から完全に離れたロッキーが、アドニスのトレーナーを引き受けたことに必然性を感じる。アポロの死に大きく関わっていたロッキーにとって、その息子の存在は特別だったはずだ。アポロの死に対して「あんたは良いことをした。アポロ(父)の信念を守ったのだから」と言うアドニスに対して「アポロは今のお前と話したかったはずだ」とロッキーは応える。しかし、ロッキーの動機はアポロへの負い目だけではない。「ボクシングはアホがやること」と自分の子どもにボクシングをさせることを避けていたが、ボクサーとして自分が果たした夢を、誰かに繋げたいという願いがどこかにあったのではないかと思う。

本作は映画「ロッキー」の大ファンであったライアン・クーグラーが長年温め続けてきた企画だ。彼はまだ29歳で(その事実に驚愕だが)、ロッキーのリアルタイム世代ではなく、昔から何かに挑戦するタイミングで「勇気を与えるもの」として父から半強制的に見せられていた映画だったという。ロッキーに強い影響を受けてきたクーグラーは、ロッキー映画のスピリットとボクシングという競技の魅力を次世代に伝えたいという強い想いがあったに違いない。その想いは本作で見事に結実した。それもスポーツ映画の新たな金字塔としてだ。それは言い過ぎだとしても、少なくともこれ以上の映画でロッキー映画の継承はなかったと断言できる。

ロッキー・バルボアという男の造形・魅力については、スタローン本人よりもクーグラーはよく理解しているように思えた。本作で描かれるロッキーは、ファンがもつロッキーの理想像から外れていない。他者への敬意を忘れない人格者であり、愛の深さと愛がもたらす力を知っている。そしてボクシングが人生に与えるあらゆる可能性を身をもって知っているのだ。老齢を迎えたロッキーの心の豊かさが本作でよく表現されている。フィラデルフィアの英雄として、今でも「チャンプ」と町の人々から愛されているのも嬉しい。「女は足にくる」の名(?)セリフや鶏の追いかけっこなどの多くの過去作からの引用に加え、自然体のユーモアを盛り込みながら、ロッキーをチャームを引き出してくれる。

一方、主人公のアドニスもロッキーの継承者に相応しく実に魅力的なキャラクターだ。外見は「親の七光り野郎」だが、アドニス自身はその事実を必死に隠そうとする。「クリード」という本作のタイトルである、アポロのファーストネームが特別な意味をもって響いてくる。それはアドニスの複雑な感情にある。愛人の子どもとして認知されなかった父への恨みか、愛人の子どもとして生まれた自身への羞恥か、はたまた、偉大な父の名前を背負うことのプレッシャー、あるいはアイデンティティーが侵食される恐れか。。。今でも十分に捉えきれていないが、おそらくその全てだろう。後者についてはロッキーの子どもが辿ってきた感情でもあり、ロッキーはアドニスをすぐに理解し庇おうとする。

アドニスとロッキーの絆に胸を打たれる。それは師弟愛であり、親子愛であり、友情でもある。本作が2人の共闘のドラマとして描かれていることも見逃せない。アドニスがアポロの息子である事実が世に知れ渡り、思わぬ形で世界タイトル戦のビッグマッチが決まる。プロのボクサーとして駆け出したばかりのアドニスにとって適う相手ではなく、完全な「咬ませ犬」としてのキャスティングである。奇しくもロッキーがかつて辿った道と同じだ。そんななかロッキーに病魔が襲う。人生を全うしたと治療を諦めるロッキーに対して、アドニスは共に戦うことを訴える。目の前に大きな戦いと挑もうとする若者がいる、ロッキーはその光景を若い頃の自分の姿に重ねたのではないか。アドニスの夢がロッキーの生きる希望になる。

プレイヤーに肉薄したアクションシーンが圧巻である。編集の妙技を駆使した練習時のスピード感と、みるみるうちに成長を遂げていくアドニスの迫力。アドニス演じるマイケル・B・ジョーダンのキレキレのミット打ちとランニングシーンの美しさにしびれる。完全に触発され、自宅に帰った後、フードを被り自宅周辺を走り回ってしまった。。。そして何といってもファイトシーンだ。戦いはリングに上がるロッカーシーンから始まっていて、体のアップとスタッフからの鼓舞、リングに登壇するまでの道のりで歓声あるいはブーイングを浴び、高らかに紹介アナウンスをされたのち、火花を散らす試合が始まる。その後の試合展開を含め、一連の流れをワンカットの長回しで一気に見せてしまうのだ。圧倒的な臨場感とともに、プレイヤーの緊張感、熱量、疲労感が迫ってくる。こんなファイトシーンは観たことがない。

クライマックスの世界戦が始まるロッカーで、あるサプライズが用意される。それはかつてのアポロの象徴であり、ロッキーに継承されたものでもある。否応なしに涙腺を刺激する。しかしその後の試合では案の定、アドニスは劣勢に立たされる。大方の予想を覆し大健闘するも、相手が強すぎるのだ。セコンドについたロッキーが、アドニス自身に選択をさせるシーンが印象的だ。ロッキーの執着ではなく、ファイターとしてアドニスを認めているからだ。「俺のためでも父のためでもない。お前のために戦え。」ロッキーの言葉が胸に迫る。自分の伝説を作れ。

そして、アポロのDNAが覚醒し、ロッキーの魂が受け継がれる瞬間が訪れる。その瞬間、これまで一切頼られることのなかった、あのメロディーが流れる。全身に電流が走り、涙があふれる。

クーグラーはボクシングを愛しているようだ。長回しによる効果だけではない。逃げ場のないリングの上で、拳を交える2人のプレイヤーの間にしか流れない空気を見事に捕らえてみせる。相手にダメージを与えて、相手からダメージを受ける。闘志をぶつけ合い、その力が互いの肉体に刻まれていくのだ。試合が終われば、互いの力を認め合い、健闘を讃え合う。その根底には美しいスポーツマンシップが流れ、本作でもそれが感動的に描かれる。試合後のインタビューシーンもまた素晴らしい。

クーグラーの前作「フルーツベール~」では、社会問題となったテーマを悲劇の物語として終わらせるのではなく、主人公の日常の中にあった家族、友人、出会う人々たちとの輝ける時間を鮮やかに映し出してみせた。本作は全くジャンルの異なる映画だけれども、あらゆるキャラクターたちの視点に寄り添い、丁寧な演出によってそれぞれのドラマを引き立たせる手腕は見事というしかない。本作はしかも、神話的映画の継承という大きな挑戦であり、それに完全勝利してしまったのだ。この映画の完成度で、まだ若干29歳。。。今年の傑作「セッション」を監督した、デミアン・チャゼルしかり、アメリカ映画界における才能の源泉は底が知れない。

「フルーツベール~」での主演に続き、クーグラーと再タッグを組んだ主演のマイケル・B・ジョーダンの真摯で誠実な演技が光る。どこか愛嬌を感じさせる柔和さと知性を感じさせる端正な顔立ちだ。そして、本作の役作りと思われる鎧のような筋肉が凄まじく、それを最初に目撃する冒頭のシーンで一気に掴まされる。現代っ子らしい軽やかさと、恋する人に熱を上げるロマンスも嫌みなく好演。聴覚障害を持つ恋人との恋愛模様も瑞々しくて非常に良い。ファイトシーンにおける熱演は本作にかける彼の情熱そのものに見えた。スタローンと同様に「あの頃は若かった」と本作のシーンが回想シーンとして、彼の未来のキャリアで引用されるのが目に浮かぶ。

そして、ロッキーこと、スタローンだ。これまでシリーズの製作に携わってきた彼が、その作品の評価が高かったとはいえ、まだ一本しか映画を撮ったことがない若手監督の企画に乗り、映画を託した英断にまず拍手を贈りたい。彼の演技力というよりは、これまでの長いキャリアで培われてきた円熟味が、ロッキーという自身の象徴ともいえるキャラクターでいよいよ発揮されたという印象だ。ロッキーの言葉が強い説得力をもって響く。本作はスタローンにとっても奇跡的な出会いであったといえると思う。移りゆくフィラデルフィアの風景を眺めて「悪い人生じゃなかった」と。その傍らにはアドニスがいる。どんだけ泣かせるつもりか。

「踏み込め、打ち抜け」
完全燃焼によって限界を突破した者にしか辿り着けない頂きがある。
その頂きにあるのは勝利。打ち勝つ相手は「鏡の前の自分」だ。

忘れがたい一本になった「クリード」。
これからも人生のカンフル剤として見返すことになるだろう。

【92点】