せーじ

クリード チャンプを継ぐ男のせーじのレビュー・感想・評価

4.1
130本目。シリーズ最新作が公開されるという事で、予習を兼ねてこの作品をレンタルして鑑賞。

冒頭、幼いアドニスがそっと"拳を緩める"シーンから「あぁ、この作品はいいな…間違いないわ」と引き込まれ、クライマックスまで一気に観ることが出来、案の定泣いてしまったのだけれども、一方でどうもモヤモヤした読後感があったのも事実で。その辺りの気持ちを反芻するうち二つの不満があることがわかった。

それは「ヒロインが物語上印象的ではない描かれ方をしていたところ」と「ロッキーがアドニスに優しすぎるところ」で。

一作目の「ロッキー」ではヒロインの存在はすごく重要で、ロッキー自身にとっても、ヒロインであるエイドリアンにとっても互いが互いにかけがえのない存在であったはずだし、物語の中でそういう関係性が徐々につくられていったはずなのだが、この作品ではアドニスとロッキーの師弟関係に重きが置かれていて、ヒロインとの関係性がさほど印象的に描けていないように思えてしまったのだ。
一作目の評でも書いたが「ロッキー」は、ロマンチックなラブストーリーでもあると自分は思っているので、そこがおざなりになっているというのはどうしても気になってしまう。その上さらにクライマックス直前、ケンカしていたアドニスとヒロインが仲直りするくだりをきちんと描かなかったのは明確に不満を感じてしまった。あの演出だと、ドアを閉めた後一体二人で何をしていたのか、という"そういうことじゃない"変な勘繰りをしてしまいたくなってしまう。「ロッキー」では、試合前日に「何のために闘うのか」を二人で確かめ合うくだりがあったのに、その差はあまりに酷い。

個人的には、ロッキーは主人公のメンター的な役割を全部背負いこむのではなく、クライマックスまではもっと突き放した態度をとっていても良かったんじゃないかと思う。その分アドニスの精神的な育みをヒロインに託したりしたほうが、より物語が味わい深くなったかもしれないし、だからこそ最終ラウンド直前のあの言葉がより感動を生んだのではないかなと思ってしまう。ヒロインの進行性難聴というハンディキャップ設定も、設定の為の設定になってしまっていて、うまく物語で活用しきれていないように思ってしまった。(話を聞きたくないから補聴器を外すというのは、いい演出だなとは思ったけれども)

まぁただ、他の方々の評を読むとつくづく思うのですが、こういう鑑賞の仕方っておそらくかなりひねくれた部類に入るんじゃないだろうかと思います。基本的には演出は手堅く、音楽もクールで最後まで目が離せない、ものすごくよく出来た作品なのではないでしょうか。
「ロッキー」シリーズを観てからの鑑賞がおすすめです。
せーじ

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