塔の上のカバンツェル

ブレスト要塞大攻防戦の塔の上のカバンツェルのレビュー・感想・評価

ブレスト要塞大攻防戦(2010年製作の映画)
3.9
10年代以降、大量生産されるロシアの"大祖国戦争"映画の割と初期の作品。
この映画でロシア産独ソ戦モノを継続してウォッチするようになった映画でもある。

日本人として鑑賞する自分にとって、独ソ戦は中学生からの興味の対象であるものの、ロシアの独ソ戦映画はある意味一種のジャンル映画であると共に、プロパガンダ機能を持ったコンテンツであると自覚的に摂取してきたので外縁部から観察するような立ち位置だったと思う。

一方で、等のロシア人にとっては、正に自分達の地肉や国土の上で繰り広げられた物語であり、祖父母の経験した彼らの地続きの"物語"であったわけで。

"自分事"としてそれら"大祖国戦争"映画を普段から摂取していた彼らロシア人が醸成していった、外側からは荒唐無稽にも思える世界観の補強、ナショナリズムの発露。それらをエンタメの一種として消費した自分はコレらの事実を見過ごすことは無くとも、過小評価していたのは否めないなと。

映画が発揮しうるプロパガンダ機能の歴史を今一度噛み締める次第である。…などと。


【本作の立ち位置】

2010年製作。
その後の「スターリングラード」や「T-34」など、続々と製作される独ソ戦映画の先駆けと言えると思う。

ロシア産の戦争映画は、ミハルコフ監督の「太陽に灼かれて」三部作などもあるものの、より戦争描写に特化した映画がジャンル映画としての"大祖国戦争"映画群ではないだろうか。

それは、爆薬やエキストラ、VFXなどをふんだんに駆使して、戦闘シーンに重きを置いた映画製作にあると思う。

本作を初めて見たとき、独ソ両軍のエキストラ達による肉弾戦や、戦車に対する歩兵の肉薄戦闘、逃げ惑う市民たちと、圧倒的爆薬量に、ロシアでこんな戦闘シーンに凝った映画つぐりが行われているなんて!と、一ジャンルを"発見"した驚きがあった。

ロシアの映画製作会社もその鉱脈を掘り当てたと見て、VFXの確かな技術力や、国際的に有名なトーマスクレッチメンなどの海外俳優を招いた映画作りなど、ハリウッドの戦争映画とは一味違った独自色の映画製作を確立していったのが、この10年間だったと。

そんなロシア映画史の初期の1ページが本作ではなかろうか。


【ブレスト要塞について】

独のバルバロッサ作戦発動、開戦初期の戦闘の一つがブレスト要塞攻防戦である。
元々は、ロシア帝国が築き、その後ポーランド領になり、ポーランド分割で再度ソ連が占領、最終的に現ベラルーシ領になっている数奇な運命にある要塞である。

ここで、侵攻してきた独軍に対して、映画でも描かれるソ連軍駐屯兵による徹底抗戦が繰り広げられ、最終的に彼らは玉砕の運命を辿った。


【戦闘描写について】

第二次世界大戦の一般イメージ(西側)は、戦車や航空機による戦闘や、歩兵はマシンガンなどで戦うイメージであると思う。
日本人としては"万歳突撃"と聞けば、銃剣突撃による玉砕が想起されるとは思うが、これらを映画として描写された近年の映画はそこまで記憶に新しくはないのではと。

対して独ソ戦では弾薬が枯渇したソ連兵による肉弾戦や、スターリングラードやベルリン攻防戦など、アパートの上階と階下との接近戦など、白兵戦闘自体は独ソ以外でも当たり前としてあるものの、その規模と頻度は独ソ戦はやはり圧倒的であるのではなかろうか。

そんな開戦初期の絶望的状況で、スコップ片手に白兵を挑むソ連軍兵が本作では象徴的に何度も出てくる。

加えて、独軍による渡河戦闘やルフトヴァッファによる重爆撃など、割と戦闘事態は時系列に描かれてもいる。

人間模様には目を見張る描写はないが、戦闘描写において、緩急こそないものの、一定のクオリティを保った戦場描写が満載ではある。


それら戦場描写と物語性をエンタメとして昇華したのが、「T-34」へと繋がっていくのだと。


ウクライナ以降、日本国内でロシア産戦争映画を観る機会は減るとは思う。

コンテンツに対してのめり込む情熱と共に、最低限の客観性は持つべきであるという事実を痛感するここ数年。
どんなコンテンツであっても、歴史的背景や政治的文脈からは逃れられないという事実を頭の片隅に残しておくリテラシーを身につけておくべきでしょう。
健全なエンタメライフを送るためにも。


四六時中、戦争や兵器の事を考えているが、やっぱり戦争は糞である。