天下の超かぼちゃ王大将軍

アサシン クリードの天下の超かぼちゃ王大将軍のレビュー・感想・評価

アサシン クリード(2016年製作の映画)
3.2
「ゲームの映画化に未来はあるのか」

少年のころ、父親に母を殺されたカラムは、殺人を犯し死刑に。
薬殺による刑の執行。
しかし、カラムはアブスターゴ財団の研究施設で目を覚ます。
そこで出会った科学者、ソフィアによりある提案が行われる。
アニムスという特殊装置を用い、カラムのDNAが持つ先祖の記憶を追体験してほしいと。
アニムスに接続された人間は、DNAの持つ記憶とシンクロし、
まるでその場にいるかのように過去を追体験できる。
カラムが追体験する記憶は、スペインのスネサンス期に生きたアギラールの記憶。
そのアギラールという人物は、アサシン教団と呼ばれる暗殺組織のメンバーだった。

■「クオリティは高いのに何故退屈なのか」

ゲームで有名なアサシン クリードの映画化。
どんなゲームかって言ったら、忍び寄ってターゲットを殺すステルスゲームです。

1作目と何作かは買ってプレイしたことはありますが、
クリアしたことは無いwなんでか。
操作感が苦手なのかなぁ。

雰囲気は好きなんですが、まぁ、そんな思い入れは無い。

けど、本作の映画化は割と期待してて、予告もよさげやったし。

ふたを開けてみれば、全米では大コケ、
けど、世界興行収入で取り返し、プラス収支ではあるんですが、まぁ物足りない。

実際映画を観て、まぁ、しゃーないかなと。

深夜に見たってのもあるんですが、途中で眠気が酷くて中断。
翌朝続きを見るというパターン。

しかし、全く持ってなぜ退屈なのか不思議な映画で、
映像を見ていてクオリティはすさまじく高い。

ゲームファンは「アサシンクリードのあるある」感を感じられ、
おおむね満足するんちゃうかなぁ。

とにかく映像が素晴らしくイイ。
アクションシーンもカッコいい。

しかし、何故か退屈。

何故なのか。

■「観客のシンクロを妨げるシンクロ演出と盛り上がらない音楽」

パッと感じたのはこれ。

冒頭の音楽こそ良かったものの、
いざ本編始まると、アクションシーンを盛り上げる事無い音楽。

監督のジャスティン・カーゼルは「マクベス」の時も予告の映像素晴らしかったけど、
あぁ、音楽センスがゼロやなと思った。

音楽を込みで映画を演出するタイプじゃなさそう。

結果、映画全体的に抑揚がなく、のっぺりとした流れになってしまった。

これは音楽一つで変えられたと思う。

映像は好みのタイプでこれは!って思ったけど、
この音楽センスなら苦手なタイプの監督やね。
意識高い系。

次いで、凝り過ぎた映像演出。

映像演出を凝るってのは嫌いじゃないんだけど、
実験的と言うよりは、単に方向性を間違った感じがある。

それは、「シンクロ」を演出するために、アクションシーンに現実映像を組み込んだ事。

本作、現実パートとアニムスパートと二つの世界を行き来することになるんだけど、
イメージ的にはマトリックスみたいな感じだと思えばいい。

ストーリー的にはどちらかと言えば現実シーンに軸足を置いてるんやけど、
だからこそ、か、アニムスパートに突入しても、割と現実の映像が入る。

それ自体は悪いこっちゃない。

問題なのは、現実シーンを入れすぎなのと、アクションの流れ自体に組み込んだこと。

これ完全に没入感を阻害してる。

機器を装着して、その世界に「入り込んだ」部分を完全に打ち消してしまった、
失敗演出だと思う。

アサシンクリードの特徴を活かすなら、観客もスネサンス期のスペインへ放り込み、
その世界に没入させないといけない。

最初は良かったけど、チョイチョイ入る現実映像が、しかも流れの中で小刻みに入ってくる演出が、完全に意識を現実に引き戻してる。
客観性が高くなってしまってる。

この演出はほんと0点。

意味が無い。

せっかくアクションシーンいいのに。

ただ、これはこの監督の特徴なのかもしれん。

割と映像も引きが多くて、映像の中に入る主観より、
舞台を外から見るような客観の方が意識として強い感じがある。

映像派ではあるが、ここも合わない。

■「表情のないキャラクタ」

これ、終盤で気付いた。

この映画、トーンが暗い感じがあるけど、トーンと言うより、
そもそもキャラクタに表情全く無くない?

終始真顔。全員。

延々と真顔。

デスマスクみたい。

これも監督の好みなんやろな。

結果、ヒューマンドラマの部分が全く入ってこない。
人間性を誰からも感じない。
そして、映画から抑揚が消える。

これもどうなんやろ。

必要以上過ぎないかというか、これも好みなんかなぁ。
苦手やなぁ。人間が人間らしく見えないのは。

それぞれのドラマはありそうなのに、
ドラマ性を感じない。

この監督、こだわりはスゲー感じるんだけど、映像以外全部合わない。


■「ゲームと映画はやはり違う」

それともう一つは、ストーリーよね。

ゲームの場合の大筋としては悪く無いんだわ。

自分がプレイする区間があって、40時間、60時間の中で流れるストーリーとしては。

ただこれ、2時間映画としてはどうなの?ってのはある。

ゲームプレイしてて、ある程度知ってはいても、
なんのこっちゃ分からんと言うか、
分からない事はないんだけど、スッと入ってこない騒動。

今回、ゲームの開発元のUBIがどこまで入り込んだのか分からんが、
本来はもっといろいろ説明して、いろいろ流れを経て結末に集約されるべきストーリーが、
要所だけかいつまんで最後まで流した感じがあり、
2時間尺のファクトとしては多すぎて複雑すぎちゃうかね。

まぁこれはゲームの映画化の課題ではあるんやろけど。

UBIが口出してるのか、ただ単に脚本家が糞なのか。
まぁ、脚本家の作品見たら、脚本家の力量不足感はあるけれど。

けどまぁ、やっぱ映画とゲームの違いやろな。

感覚論やけど、映画のストーリーって、まっすぐ一本に進める感じ?
北海道とかの道路みたいに、まーーっすぐ一本だけ通す感じ。

ゲームは違くて、四方八方に広がる感じ。迷路みたいに?森みたいに?

ストーリーを広げる方向性がそもそも異なるような気がして、
そこのギャップがどうも埋まってない気がする。

■「ゲームの映画化に未来はあるのか」

本作を成功と位置付けるか、失敗と位置付けるかは難しいけれど、
小説の映画化、コミックの映画化と比較して、ゲームの映画化では代表作らしい代表作が無い。

本作にそれを期待していたけれど、まだどでかい壁が残ったままというか、
むしろ高く厚くなった感じが強い。

批判ばっかになってあれやけど、
クオリティが高く見えるのに退屈だったのは結構痛かった。

ここで成功してもらわないと正直困るんだわ。
ほんとは。

これから、ノーティドッグのアンチャーテッドと名作ラスト・オブ・アスの映画化が控えている。
一番、映画化向きのタイトルで、けど、ゲームの映画化自体があまりに成功しないと、
企画自体がとん挫って事もありえるし、今の進捗なら可能性は高くない?って。

ただ、アンチャーテッドは脚本家がジョー・カーナハンって事で、
これはもう、このまま行ってくれれば期待できる。
出来れば監督もしてほしかったけど。

ただ、脚本も割とコロコロ書き直されるし、油断は出来ない。

個人的に、絶対に映画化してほしいラスト・オブ・アスの進捗が無いのも気になる。

本作で、ゲームの映画化が主流化することを望んでいたけれど、
まだまだ予断を許さない状況ではある。

ラスト・オブ・アスの映画ほんと見たいんだよ・・・。