阪本嘉一好子

HOWL 吠えるの阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

HOWL 吠える(2010年製作の映画)
5.0
これは観るぞと真剣に構えて粋がったが、『ハウル』は難しいねえ。詩というのは書いた人の気持ちの表現であって鑑賞者である私の解釈と一致しないものだと思う。これはすでにアッバスキアロスタミ監督やヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督や歌手、ジャックソンブラウンが私に教えてくれたこと。だから私の解釈とみなさんの解釈は同じでなくていいし、ギンツバーグの心の中を吐き出した思いと同じでなくてもいい。

フランコが若い頃のギンツバーグの声色を上手に真似しているので、驚き。ジェームスディンの一挙手一投足をフランコが真似しているのに驚いたが、今度は50年代『吠える』(Howl)+他の短編詩集を書いた若い頃のギンツバーグの真似を。 正確には英語でHowl and Other Poems (1956)という詩集だが、私は多分Other Poemsの一編である、『カルフォルニアのスパーマーケット』A Supermarket in Californiaを読んでいる。映画にはない。彼のものに対する感覚が面白い。頭の中を自由に泳がせて、思い浮かんだことをリズムを考えて吐き出している。


"I saw the best minds of my generation destroyed by madness, starving hysterical naked [...]" これが『吠える』(Howl)ハウルの冒頭、まだ出版されていなく、そして彼は29歳だと字幕に。 彼の世界観を4つのパートにした詩だと字幕に。

この映画、詩集『吠える』(Howl)は難しい。私は詩の解釈も自分なりにしているつもりだが、分析しているわけでもない。しかし、この詩集は全く理解できないところが残る。詩集『吠える』(Howl)が文学作品としての戦後の若者の価値観を理解され詩として、扱われるかいなかで、 この詩集が『猥褻』となるかどうかが決まってくる。50年代に、サンフランシスコで裁判沙汰になったようだ。

この裁判の模様とギンツバーグが『吠える』(Howlハウル)詩集のドラフト(仕上げじゃなくて、紙だけで本になっていない。)をシックスギャラリー(Six Gakkery 1955年の10月7日に画家のWally Hedrickがギンツバーグに詩の読む会での朗読をお願いしたらしい。)で詠みあげているシーンが映画では交互に映し出されてる。それに、ギンツバーグの生い立ちやニューヨークでのことが白黒で回想されている。また、ハウル詩集に合わせて、アニメが詩の内容を映し出している。このアニメは重要なんだが、アニメがあまり好きではないので集中してみることができなかった。

このギャラリーで聴衆になっているのが、最初や最後のシーンで一人一人アップで映されている、作家ジャックケロアックJack Kerouac,ニールキャサディーNeal Cassady:奥さんがいるのにギンズバーグと肉体関係を結びそうなシーンが映画にある。 ニールとの愛を失った痛みが『吠える』(Howl)描写している) 本屋で出版社で詩人でもある(City Lights Booksellers & Publishers) ローレンスファーリンゲッティLawrence Ferlinghetti, も本当はそこにいたが、映画では弁護士と共に裁判所にいるように構成されている。ギンツバーグがハウルの詩を読む会(Six Poets at the Six Gallery)で詠み上げているこのギャラリーにはこのような著名人が集まっていたようだが、個人的には数人知っているだけ。この場は『ビートジェネレーション』と言われている米国東西海岸の若者の重要な集まりでもあり、ギンツバーグを最も有名にした詩集のドラフトのお披露目だったようだ。 でも、彼は父親に『吠える』(Howl)の内容を知られたくなかったと。だから出版する予定はなかったと映画で答えている。だから、自分の不安やネガティブな感情を書くだけではなく、思いついたことをそのままストレートに書き記している。これが詩人である父親に認められたのは彼の自身につながったと思われる。

この裁判に感謝していると彼は言う。彼をもっと有名にしたのは裁判沙汰になったからだと。原告側の検事マッキントッシュが『天国』によって出版させたと出版された詩の書き出しにあるものはそうではなく、ローレンスのCity Lights Booksellers & Publishersによって出版されたと冒頭でいう。法廷の被告人席にローレンスと彼の弁護士がいる前で。この裁判は最高裁の定義の『猥褻』は何かに基づいた裁判官が判断を下す。

一番好きな裁判のシーンは:
『サンフランシスコイグザミナー』と言う新聞社の人の証人席での言葉。
ギンツバーグの詩の一部を終戦後大学に入ったり、仕事をし始めたりした世代の危機感(カオス)で安定した生活がしにくいことを表していると。 そしてBlew ..blownの表現についても、これには数通りに解釈できるとして、航海中に風に吹かれると言う意味がひとつだ。検事が、これはフラチオの意味があるのではないかと。私もここでセクシャルな言葉を使いたくないが、論点はギンツバーの『吠える』(Howlハウル)が猥褻か文学価値のあるものかの論争なので私がセクシャルの言葉も使うことを了承していただきたい。 性の表現の大胆さに驚くことなかれ。自分の性が法律的に認められないという圧迫の中で『爆発表現』によって、自分を表していると思う。Fの言葉が詩にあり、ホモセクシャルをカムアウトしていたり、性の直接表現なども問題だが、それより詩の構成で大事な、幾つにも考えられる意味をFiguative speech(比喩的表現:隠喩、直喩、誇張法)。をどう解釈するかというのが論点のような気がする?

一番、悲しいシーンはカール ソロモン(Carl Solomon)の転向療法:
時代背景も50年代で、米国の資本主義批判時代の政治や社会事情(カルフォルニア州のソドミー法を撤廃が1976年と読んだ) 理解する必要がある。 ソドミー法はホモセクシャルの性行為を犯罪として、映画でもわかるように、ギンツバーグはホモセクシャルを病気と扱われ更生する施設に入ったが、ホモセクシャルじゃないと言って、出てきたと言っている。カールは治療のため屈辱的な電気ショックを与えられた。 『Ah Carl, while you are not safe I am not safe』 カールについての詩集の一部にこの言葉が出てくる。安全な場所はどこ?キツくて悲しい表現:当時の社会で、同性愛者だから人間として、自分の体にも心にも安全な場所がない!! でも、物書きの仲間の中ではだれも驚かない。ジャックに初めて自分はホモセクシャルだと言ったが、自分を表現することに対しでジャックもだれも驚きはしなかったと言っている。

あと、この映画である教授が法廷で証人になった時、ホイットマンのForm (詩の形式)の物真似だと言って、一銭の価値がないと否定的な言い方をしている。ギンツバーグは詩人ホイットマンの影響はかなり受けているが、それに、ホモセクシャルだったのは知っているが。。。。これについては私自身勉強不足でなんともコメントできない。

1955年のシックスギャラリーのシーンには著名な物書きの若者に圧倒的な支持を得ていたようで、映画でうかがえる。気になってあとで、調べたところによると、ギンツバーグは1997年に他界しているようだ。ポールマッカートニのギターで唄った、資本主義攻撃の政治思想の詩がある。かなりの長い年月において活躍していた人なので、時々、デレビのショーでゲストとして、詩を読んでいる。 自分で打楽器になるような道具を持ってきて(なんだかわからない)、叩きながら、タバコの害について唄ったのを聞いたことがある。 私の知っているのは字余りのようで、韻を踏んでいて、何度も同じフレーズを繰り返すことにより、彼の自己主張がわかるもので、政治的にアナキーのようである。 後期の詩は彼の内面の葛藤でなく政治的な主張なのでかなり理解がしやすく初期の『吠える』(Howl)より馴染みがある。この映画に感謝する。『吠える』(Howl)を聞いただけではちょっと理解に苦しむ。この映画が役立った。でも、まだ、全部、自分が理解しているとは思えないけど、レビューを書いた。

"I saw the best minds of my generation destroyed by madness. レビューの最初に戻るが、これが『吠える』(Howl)ハウルの冒頭だ。best mindはカール、ジャック、自分を含めた当時の物書きのスピリットを示すと思う。それらの心や体は by madness.(政府、法律、宗教、人々など)によって、破壊されていったのを I saw ギンツバーグはその証人として、 『吠える』(Howl)で唱えたということだと思う。

最後で、ボブディランとリックダンゴが作った曲が流れる。 ボブディランとの交流もあったから。