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スター・ウォーズ/最後のジェダイの3104のレビュー・感想・評価

3.9
前作『フォースの覚醒』に続くエピソード8がようやく公開。
のんびりしているとうっかりネタバレを喰らいそうなので、多忙の間を縫ってさっそく劇場へ。

(ここからネタバレもあり)





観終えたあとの率直かつおおまかな感想は「こってり」。
これまでのシリーズ諸作は程度の差こそあれ、どこかイキきっていない部分・・あ、その部分はその描写でおしまい?もっと“掘れる”けれど次に行くのね・・という部分も多かった(故にマニアの想像・補足の余地もあったか)が、今作はそういう抑制や節度、あるいは“画風”とでもいうものを軽く飛び越えて、そこで得られたものを2時間半の中に勢いよく入れ込んだ感じ。これは個人的には“賛”と捉えたい。
そしてなにより「ライアン・ジョンソン、壊しにきたな」。エピソード4から連綿と続くSWシリーズという“親”を殺しに、越えにきたか。まるで劇中での親や師匠を殺したり越えてゆく過程そのままに。

旧作からの登場人物の“処遇”はもとより、「ジェダイ」「フォース」という概念や位置付けの(結果的に)再定義。物語の“明日”の一旦を「血縁」に繋がれていない人物~しかし思い返してほしい。アナキンだって最初は「誰でもないただの人物」だったはず~に託したことにより、それまでの“枷”を葬り、乗り越えていくことができた(同時に我々鑑賞者にも問いかけられている。この“ハイパードライブ”に乗るのか、それとも背を向けるのか)。
前作『フォースの覚醒』が良くも悪くも旧作ファンへの気遣いやおもてなしやご機嫌うかがいに満ちていただけに、その落差には~ある程度こういう方向に舵を切るだろうなという予感があったとはいえ~少なからずの驚きと満足を覚えた、そして以降のシリーズが自由に展開できる足掛かりになったとも。


各要素を「こってり」描いたとはいえ、決して「うまく詰め込んだな、描いたな」とはならないのが本作の特徴にして欠点である。
描いたテーマには評価や歓心を寄せるが、映画の構造自体は雑な部分がどうにも目立った。これはマイナス点が少なかった近作『フォースの覚醒』『ローグ・ワン』にはなかった部分だ。
離れた場所で展開される各パートのスイッチング。メカ、ガジェットが奥行きや趣きのある使い方をされなかった点(AT-M6は全く活躍していないじゃないか)。爆発のあとレイはどうやって脱出したのか。ルークの修行は(ヨーダの修行のときもそんな感じといえばそんな感じだったが)あれで修行たりえたのか?等々。
※あぁそうだ、ライアン・ジョンソンだ。『LOOPER』でも「(タイムパラドックスの仕組みの)説明が面倒だ」「(そんなことは)どうでもいい!」と主人公に言わせていたっけ・・。

しかし個人的にはそういう“瑕疵”をものともしないかのようなプラス要素が印象に残った。
なんといっても公開前から提示されていた「赤」の使い方がいい。これでもかとばかりに「血」を想起させるあの使い方が。
女性キャラの魅力的な描写(とはいえホルド役のローラ・ダーンの無駄遣いはなんとも残念。しかしレジスタンスの首脳のみならず、作中全体に女性キャラが多いので“混雑”を避けるための退場ならば仕方なしか。あとファズマは次作でも出てくるよね)、前作でキャラの肉付けが感じられず、言ってみれば「BB-8の飼い主」止まりだったポー・ダメロンの描かれ方、もちろんレイとカイロ・レンの対峙、そして自らの役目を全うして去ってゆくルークの姿。

新キャラのポーグとやらは物語の邪魔をせず、BB-8はより万能に。反面これまでのキャラ・・チューバッカや辛うじてC-3PO(彼はルークが幻影だったことを知っていた?)には居場所があったものの、特にR2-D2はあのホログラム以外は役目がなかった(そしてこれからも?)のはこれも仕方がないことか。

あと全体的に『ローグ・ワン』の影響を感ぜずにはいられず。ローグ・ワンの「アンサー」的な、またローグ・ワンをも越えていくという作り手側の意志をみたといっては言い過ぎで穿ち過ぎか。

(ああ、久々に書いたらこの作品ばりの「雑」なレビューになってしまった)
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