また私の中での最上級映画と出会えてしまった。Filmarksで知って clip。このアプリのキャッチコピーの”いい映画と出会おう“が体現したかたち。日本未公開作品だからなお一層 Filmarksやってなかったら出会えなかっただろう。
"それは最良で最悪の時だった"
当たり障りのない学園生活を送り、目立たないように生活している主人公グレッグ。彼には"仕事仲間"のアールがいる。2人は名作映画のパロディー映画を撮ることが趣味。そんなグレッグは 同級生のレイチェルが白血病と診断されたと知り 母に励ますように頼まれてしまう。知り合いとも言えないようなグレッグとレイチェルの絶望的な友情を軸に描く。
彼が絶望的と称する友情関係は209日にも及ぶ。その日数で2人は恋人ともいえない関係を築いた。グレッグの空気の読めない発言から始まった関係。皆が"必ず治るよ。"とか"大丈夫?"とか自分を気遣い励ます言葉が彼女には自分が惨めに感じる言葉でしかなかった。そんな時に 「僕のためにも一緒に過ごしてくれ。1回 過ごして 嫌になってくれたら明日から来なくて済むから」なんて発言を放つ男がやってきたら気になる。部屋に入っても 今は亡きクッションと僕の関係性なんて話し出す男だ。
この2人は恋人同士の関係へと発展するわけではない。映画の描き方としても はっきりと2人の友情としての描かれ方をする。本来のラブストーリーならキスするへと発展する場面でグレッグが "僕らはしない"とナレーションをいれてくる。この映画において 私が最も魅力に感じるのが このグレッグのナレーションだ。なんたって作中で二度も この後の展開で彼女が死ぬ結末を否定する。普通の映画だったら死ぬだろうが 彼女は死なないと。まぁ はっきり嘘だと分かってしまうのだけれど。その見え透いた嘘がラストで私の感情を壊した。
彼は彼女の為に映画を作る。はっきりいってよくわからない映画だ。これは作ったグレッグも"クソ映画"だと言っている。それは当たり前だろう。皆に見てもらう為に、理解してもらう為に、評価してもらう為に作った作品ではない。この作品を 見て欲しくて 理解して欲しくて 評価して欲しい人は1人しかいないのだから。死がジリジリと迫ってきて彼女を飲み込みかけている病床の上で壁に写し出されたこの映画を見て 彼女は目を見開く。言葉も発せず 白い顔のまま 目に涙を溜めながら 瞬きもしない。途中からは意識がはっきりしていたのかさえ見てる者には分からない。あの映画を彼女がどう評価したのかは 分からず終い。
彼が 彼女の部屋で見つけた様々なもの。ピンク色のクッション、大学リストの分厚い本、木の柄の壁紙に描かれたリス、ハサミ。それらから 先生が発した "死んだ後からでも、その人を知ることがある"という言葉の真意を感じられただろうか。窓からの景色、窓に彫られた階段から何を私は感じたのだろう。209日にも及ぶ 絶望的な友情関係は彼女に笑顔を与え続けた。