亘

ぼくとアールと彼女のさよならの亘のレビュー・感想・評価

4.6
【自然体の"絶望的な友情"】
グレッグは少しずれた少年。高校ではどの国(=コミュニティ)にも属さずにいた。ある日彼は母親から白血病の幼馴染レイチェルの見舞いを命令される。2人の"絶望的な友情"が始まった。

グレッグと"仕事仲間"アール、白血病の少女レイチェルの500日以上にわたる奇妙な友情を描いた作品。グレッグは母親に命令されて毎日のようにレイチェルの部屋を訪ね長時間共に過ごすが決して2人は恋に落ちない。それに病気の人の前だからと言って優しい言葉をかけるわけでもなく、死ぬふりなんかするしイレギュラーな作品。それでも卑屈で斜に構えた感じのグレッグは"絶望的な友情"を通して居場所を見つけようとするし素直になっていくように感じる。

グレッグは少しずれた少年で独自の感性を持っている。今作は冒頭からグレッグワールド全開。個人的にはこの世界観がどハマりだった。「夏はどうだった?」と聞かれれば「夏?なんだい、それ。もっとサム(Sum+er)ってこと?」と答え、「テストだった」と言われれば「あーテスト、やったことあるよ。やだね」と答えたり軽快な言葉遊びが満載。レイチェルの前では枕にフランチェスカと名付けたり、"受動的抵抗"とか"後悔中のホッキョクグマ(?)"をしたり独特。映像もまたポップでシュールでミシェル・ゴンドリー作品みたい。極めつけはアールとのパロディ映画製作。「木綿仕立てとオレンジ:Sockwork Orange(時計仕掛けのオレンジ:Clockwork Orange)」とか「勝手に走りやがれ:Breathe Less(勝手にしやがれ:Bleathless)」、「ラ・性病:Mono Rash(羅生門:Rasho-Mon)」とか映画好きはこれだけでも楽しめる。

グレッグは少々卑屈で人づきあいが苦手だから、どこの国にも属さずにいた。それにいつも周囲の目を気にしていてどこの国でもやってけるよう万能の"パスポート(=身のこなし)"を持っていた。だから突然レイチェルと親密になるのは気が引けただろう。でもその卑屈さがレイチェルに受けた。レイチェルには見舞いが来ても結局みんな定番の慰めの言葉をいうだけ。しかもそれはうわべだけでみんなその後は来ない。そんな人たちに嫌気がさしてたからレイチェルはグレッグに心を開いた。グレッグが病気の人の前で死ぬふりをしたことで2人の距離は縮まり"絶望的な友情"が始まったのだ。その後も2人は恋仲になるわけでも、病気を嘆くわけでもなく普通の会話を続けていく。

2人の友情の転機は、アールの登場。フォー事件からアールが加わり、2人はレイチェルにパロディ映画を見せ始める。そしてグレッグを辟易させる"ヘラジカ"マディソンの提案でレイチェルのための映画製作が始まる。このマディソンは、グレッグからしてみれば陽キャラの手が届かない女子。明るく活発で発言力があり美人。グレッグも彼女が多少気になるようだけど、国が違うわけだし半ばあきらめ気味。彼女の頼みはスルーするのは難しい。というわけで彼はレイチェルのための映画製作を始める。

中盤までは軽快な言葉遊びと場面転換でテンポよく進むけど中盤以降は徐々に展開はゆっくりになる。グレッグとレイチェルは互いの将来など真面目な話を始める。一方で居場所を確立したかに見えたグレッグは治療継続を巡ってレイチェルと対立し、アールとも喧嘩し終盤に向けて構図が少し不安定になる。そんな状況下でのマッカーシー先生の言葉「亡くなってからその人のことを知ることもある」というのは優しく聞こえた。

終盤グレッグはマディソンからプロムに誘われる。プロムといえばアメリカの高校生にとっては一大イベントで気になる相手とデートするチャンス。それに陰キャラなグレッグにとって、美人なマディソンからの誘いは願ってもないこと。それでも彼は当日夜に病院へとレイチェルのために最新作を持って向かう。それはマディソンに言われて作ったきれいごとの作品ではなく、彼独自の感性で作った作品。これはまさにそれまで人目を気にして過ごしてきた過去の彼からの大きな成長だった。そしてレイチェルの遺した大学への陳情書や手紙、部屋に隠されたアートは、2人の絆の強さを表していた。

印象に残ったシーン:絶望的な友情1日目のレイチェルの部屋でのシーン。後悔中のホッキョクグマの真似をするシーン。グレッグがプロム当日病院を訪問するシーン。

印象に残ったセリフ:「夏?なんだい、それ。もっとサム(Sum+er)ってこと?」「あーテスト、やったことあるよ。やだね(Oh, test. I've been there.)」「人が亡くなってから学ぶこともある」

余談
原題は「僕とアールと死にかけの少女」という意味です。
亘