このレビューはネタバレを含みます
定番のディズニーもの。
興味ないのに家族のために借りたら、誰も見ないから一人で見た…
ところが凄まじい作り込みと飽きかけたら仕掛けてくる歌と踊りで目を離させない。これが超一流の仕事なのか、と感心していると現代だからこそリメイクする意味があることを示唆する裏のニュアンスにも気がついていき、ディズニーの凄まじさに敬服しかけていた。
また恋愛ものの機微もしっかり押さえていて、女性の心を掴むのは野生ではなく、知性と思いやりだと自然に納得させる作り。
人種、性差、同性愛の垣根を越えようと高らかに謳う。
ところが、ここまで現代的なテーマになってくるとラストの落としどころに期待が高まりすぎて、最終的に納得できなくなった。
真実の愛とは何か?
を問う物語に恋愛要素が不可欠なのは分かるのだが、それを越えた人類愛や憎しみを乗り越えたヒューマニズム溢れるメッセージにまで高めて欲しいと感じてしまった。
そうするとガストンの扱いが納得できないものになった。彼はどうしようもない悪人だが、それでも赦すという話に帰結したならば、この作品は類いまれなる名作になったと思う。裁きはすれど、慈愛を持つということまで描けば、それは真実の愛に辿り着いたことになるだろう。彼を誰も殺したわけではないが、作品のテーマとしては殺している。真実の愛とは、壁を取り払い、憎しみを包み込み、平和を生み出すことだと思う。
そうなると、この作品は終始見た目ではないという表層的なメッセージだけを言っていたように思う。それでは見た目に捕らわれてるのと変わらないじゃないか。
彼らはガストンの潰れた死体の近くで、村人と仲直りしたのかと思うと、恐ろしく欺瞞に満ちた話に感じる。悪を死で裁く価値観を説き、勧善懲悪という矛盾した偽善を子どもたちに謳うことは戦争や殺人の肯定に繋がる、と思ってしまった。
普通の娯楽映画では感じないくらいに、強力な恐ろしさを感じてしまう、この作品は何だろう?悪いやつの責任にして見殺しにし、集団ヒステリーをなかったことにするなんて…ナチスやヒトラーのせいにして戦争を語るのと同じではなかろうか。
これが世界的にヒットしたことは、ある意味で世界の文化やモラルは末期を迎えたと感じた。そんな一作。
口直しに、デルトロ版美女と野獣のシェイプ・オブ・ウォーターを見よう。