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エンドレス・ポエトリーのAKのレビュー・感想・評価

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
3.1
前作『リアリティのダンス』にあった、スクリーンを食い破ろうかという荒々しさが大幅に減退してしまった印象を抱いた。その理由として、前作のメインテーマであった

ユダヤ人差別
革命プロット/暗殺
父親の脱政治化
上記の動乱の時代に翻弄される幼子とチリ

という、過剰なまでにポリティカルなテーマが消えてしまったことが原因としてあげられる。

 『リアリティのダンス』で暗殺に失敗し革命に挫折する父親の、その一連のシークエンスが本当に最高で映画館でゲラゲラ笑いつつも未だに強烈なイメージとして残っているから、単純にあの父親の登場シーンが減ったのが残念。
 少年ホドロフスキーの思春期と、チリの国内情勢の一時の平穏が重なり、物語は非歴史的なアーティストの自意識へと移っていく。そこに政治的プロテストは存在しない。政治的プロテストとは、決して自意識のためのものではない。世界を変えるために行われる。なぜ世界を変えるのか? 虐げられた人々を救うためだ。

 J.P.サルトルは、戦中フランスでレジスタンスとしてナチズムに抗った。対して当時前衛表現のトップだったシュルレアリストたちは、アメリカ等に亡命した。戦後サルトルはシュルレアリストたちを
「ブルジョワ共の馬鹿騒ぎ」
と、過去の遺物と一掃した。その後のサルトルの世界的影響と、シュルレアリズムの退潮は知っての通りだ。

 本作のラスト、渡仏する直前にアレハンドロは「世界ではなく自分を変える」「シュルレアリズムが死にかけている。ブルトンを救う」と言う。この一言に、僕が全くこの映画にノレない理由が凝縮されていたように思える。

 政治と結びつかない前衛表現、つまり他者を侵犯し想像力を犯さんとしない前衛表現には、俺はやはりノレない。だからこそ、ポスター等に使われている、真っ赤なダンサーと白の天使の構図/詩を高らかに褒め称えるあのシーンよりも、物語最後にアレハンドロが一人で「イバニェスに死を!」とプロテストしていったシーンこそが美しいと思った。

 もし続編があるのなら、今度こそ『リアリティのダンス』の続きが観たい。

シネマシティ公開を見逃してしまったので、シネマカリテで鑑賞した。
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