亘

怪物はささやくの亘のレビュー・感想・評価

怪物はささやく(2016年製作の映画)
4.3
【辛い現実に向き合う】
気弱ないじめられっ子コナーは、いつも空想をして絵を描いていた。彼の母はガンの薬物療法を受けている。ある夜コナーは近くの丘のイチイの木が立ち上がるのを見る。その怪物は彼に3つの話をするのだった。

気弱な少年コナーは、現実の世界が嫌でしょっちゅう空想の世界に逃げ込む。そんな彼が怪物との出会いを機に現実と向き合い始める様子を描いた作品。初めのうちは、怪物の物語は単なるも寓話だろうと思える。しかし次第にその物語がコナーに向けられたメッセージだと気づき怪物の優しさを感じ、最後には母の特大の愛を感じる。「パンズ・ラビリンス」の製作スタッフの作品ということもあってダークファンタジーに強いメッセージがこめられていた。

コナーは、すぐに空想の世界に逃げ込み絵を描くことで現実から目を背ける。母と2人暮らしをしていて、大好きな母はガンを患い辛い薬物療法中。学校ではいじめっ子に毎日のように殴られる。彼にとっては現実はつらいことばかりなのだ。ある夜の12時7分近くの丘のイチイの木が動き出し人型になって彼の元に向かってくる。その怪物は彼に3つの話をし4つ目の話はコナーが話すというのだ。それ以来彼は毎晩12時7分を楽しみにする。

怪物と出会ってコナーの日常にハリが出てようだけど、現実は大して変わらないどころか悪化する。祖母宅に引き取られ、母と別れアメリカに行ったはずの父が戻ってくる。コナーが幼い頃のビデオを見て祖母や父のコナーへの愛を感じるけどコナーとしてはいまいち腑に落ちてないように見える。

それでもコナーは怪物の話す話から現実を学ぶ。3つの話はそれぞれに教訓があるのだ。
1つ目の話ー魔女といわれた王妃の話 :人は信じたいことを信じる
2つ目の話ーがんこな調合師の話   :信仰こそ薬
3つ目の話ー透明人間といわれた男の話:注目が孤独になる
特に1つ目・2つ目の話では、「誰が悪か」ということを考えさせている。人々からすれば王妃や調合師が悪いけど、実はそうではない。真実を信じたくないからこそ人々は悪を嫌な人に押し付けるのだ。それは彼自身も一緒なのかもしれない。母と一緒にいたいからこそ祖母や父を悪者扱いしていた。しかし2人ともコナーを愛してる味方なのだ。そして3つ目の話に影響を受けて彼は透明人間扱いに怒りいじめっ子を殴る。その結果彼は校長から怒られクラス内で浮く。まさに怪物の教訓は辛いが真実なのだ。

母の病状が悪化するとコナーは、自ら怪物の元へ向かう。そこで何度も見たことのある悪夢が目の前に現れる。コナーと母が離れ離れになるのだ。それこそ4つ目のコナーが話す物語。彼は母の死を受け入れなければならない、そして母を安らかに眠らせなければいけないのだ。この4つ目の話で彼は遂に真実を受け入れる。「どう考えるかではなくどう行動するかだ」という怪物の言葉も、現実を「こうだったら」と空想するのではなく現実を直視し受け入れて考えろというメッセージだったのだろう。

終盤ついに彼は母の最期を看取る。昔の彼だったら現実が嫌で空想に逃げ込んでいたかもしれないけど、今では違う。別れを受け入れ母とハグして見送るのだ。そして彼は祖母の家にできた自分の部屋で新たな事実を発見する。木の怪物や怪物の話は幼い頃の母が創り出した物語だった。つまりコナーの目の前に現れた怪物は、母に代わってコナーに大切なことを教えに来たのだ。怪物は、自分がいなくても強く生きていってほしいという母の願いの表れだったに違いない。

印象に残ったシーン:怪物が3つの話をするシーン。コナーが母の死を受け入れるシーン。コナーが母の描いた絵を見つけるシーン。

印象に残ったセリフ:"Belief is a cure.(信仰こそ薬だ)"、"It is not important what you think, it is more important what you do.(なのを考えるかではない、どう行動するかだ)"

余談
・原作はパトリック・ネスによる同名小説です。
・撮影はスペインとイギリスで行われました。
亘