地獄突きビグザム

セルの地獄突きビグザムのネタバレレビュー・内容・結末

セル(2015年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

原作は未読。映画を見た印象だと、これはわかりずらい。本当に。まずゾンビ映画だということ、ゾンビ映画は基本何かのメタファーが必ず入っている。私が思うに、それには3種類あり、1主人公 2ゾンビ3ゾンビ以外の人、という当たり前だが3種類がある。 大切なのはどこにフューチャーするかだと思う。

まずゾンビは何かツールで繋がっている人と考える。それは電話、SNS何でも良い。その反面生き残った人は人と繋がれない人。交流出来ない人で構成される。情報・人間不振の男や引きこもり女、時代についていかない又はいけない人、ただ孤独な考え方の人で構成される。主人公はその間の人で人と繋がることの本質に葛藤する役になっている。

まず生き残った人はリーマンショックと家族に裏切られ人間不振の男。引きこもりで家族からも疎ましい女。友達がいなくてCPUにのめり込んだ少年。
頑固者で仲間がいない先生。時代を捨てた世捨て人ぽい山男。時代に追い付けないジジババ。妊娠中と嘘つく嫌われ女。サイコな爆弾男と今の社会についていけない人達のオンパレード。

だから凄い皮肉に満ちている。なぜ今のSNSが普及したのかという皮肉につながる。個人で考えるに、それはSNS等は個人レベルで都合が良い情報だけで交流できるから良いという事だと思う。つまり嫌いな奴ならシャットアウトすればよく人生楽しく生きていけるというわけだ。だからゾンビも多い。
嫌な奴は生き残る。

だからゾンビ?は現代風になっている。孤独を装う奴もいるし、圏外なのかみんな一斉にアンテナを探すというか検索する。更新されユーザーに利用者獲得を促す。あのゾンビの円を描くモッシュは最高でフォロワーやいいねの数のよう。あれはロックが好きな人はわかるがダサい行為としての表現。自由にのるのがロックだよと表現の自由だよいう認識。

ただ、ここで本当の皮肉が出てくる。
ゾンビになった妻が襲ってくるのだ、これは真に心で繋がりたい主人公に対する皮肉で距離感が縮まれば個人の嫌なところが見えてくるよというところ。

それに対して同じ体験をしている人間不信と社会不信なサミュエルは息子を救おうとする主人公に、いかなくてもいいんじゃね?と問う。

これは情報に左右され騙された男が主人公と同じ体験をして、出した答えで肌で感じた感性を信じて今本当にできた仮初め家族で生きていかねえ?という問いであると感じた。ただ近くよると息子も理想と違い嫌なところがみえてきた。

最後はどこまでが本当なの?というキングらしいラストだが、大事なのは主人公の家族に周りに対して希望・求めることしか無いことが重要で、これは良いこと悪いことも込みになっていること。
つまり悪い事も自分にとって良い思い出。これも管理・コントロールされている事を差す。。
それは結局、意思は違えどダサいモッシュしている事と同じ、色々意見は違い反発・共感はあるが、同じ管理下(赤パーカー)でコントロールされている事を皮肉っている。

ただここまでしないと養護出来ないのは問題な映画だと思う。