「私が守る。」
アマゾネスたちファリックガールの戦い。
戦闘美少女の精神分析という本を読み、海外のファイティングウーマンの原型とも言える本作が気になった。(1941年ドラマが初作。)
戦闘とセクシュアリティの混交を試みたという点で面白いなと思いながら興味深く観ていた。それを知らなければもっと後に鑑賞していたと思う。
フェミニズムという政治的背景、女性の社会的地位の向上を象徴するアイコンとして君臨するその意義は深いように思う。
常識は一つ海を挟めばまるで違う。常識が変われば生きる世界も世界の見え方も変わる。
あらゆるものに自らの精神でぶつかるワンダーウーマンは、我々の信じてきた概念を揺るがす。
派生して色んなジャンルに興味が湧いた。
DC、時代劇、スパイ映画、SF映画…
その数々の中に在るヒロイン、強い女性たちの姿は当たり前のようで、そこに中心的にスポットが当てられることはそう多くない。
「みんな戦っている。君と同じように。」
無人地帯に堂々と踏み込んでいくワンダーウーマン。まさに描きたかったのはそこだろう。
悪者のせいにしたいが、僕にも責任がある。
そこまで訴えられる映画はなかなかないのではないか。
美女vsおじさんの図はメタファーにしか見えない。太刀打ち不可能な現実にも挑み続ける姿勢は圧巻だ。きっとワンダーウーマンが彼女たり得るのは肉体的な強さだけではない。