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ゴッホ 真実の手紙のArataのレビュー・感想・評価

ゴッホ 真実の手紙(2010年製作の映画)
4.2
現在、上野の国立西洋美術館で開催中の『自然と人のダイアローグ』と言う企画展(以下「企画展」で統一)があり、そこにこの映像にも登場する[刈り入れ]が国内初展示されている。
企画展への、ちょっとした予習を兼ねて鑑賞し、その翌日に早速美術館へ足を運んだ。


そもそもは、『アブサンの文化史』と言うバーナビー・コンラッド3世著、浜本隆三訳の単行本を読み直していた折、ゴッホについてもう少し調べてみようと思い、インターネット上をぐるぐるしている内に、今回の企画展の存在を知る。

タイミングと言うのは面白いもので、その日お会いした方が、企画展を観に行ったとおっしゃっており、ここで完全に決心し日時指定券を購入。


当日券でも入場可能だが、日時指定券であればほとんど並ばず時間通りに入場出来る。
指定券は、ふらっと行く気軽さが無く、やや敷居が高い気もするが、人気の展示では利用する価値があると思うので、ご参考までに。


有名作品が多く、「流石リニューアル後の企画展」と言った力の入りようで、大変素晴らしい展示だった。どなた様にも、強くお勧めしたい。


この『ゴッホ 真実の手紙』は、ゴッホに限られてはしまうが、偶然にも企画展鑑賞の補填的な役割も担っているので、行く前に観ていただけたら、より面白い視点で楽しめるのでは無いかと思う。

また、正式な記録として残る文言を尊重としたセリフなどの「内容重視」の作品であり、時間も短く、大音量や大画面の必要性はあまり感じなかったので、スマホなどでさくっと観てしまうのも、そこまで悪くないのではとも感じた。


なお、強調したい箇所は「」、絵画のタイトルは[]で統一、敬称略にて書かせていただいた。



【あらすじ】
ゴッホの生涯を、弟テオとの手紙や、交流のあった知人らの証言として残っているものを、再現VTRの形でイギリスBBCが映像化。

50分程度の短い時間で、非常にコンパクトにまとめられている。

ゴッホ役は、ベネディクト・カンバーバッチ。

U-NEXTでは吹き替えのみだった為、今回はアマゾンプライムビデオで字幕版を鑑賞。



【感想など】
・ベネディクトカンバーバッチが、ゴッホ本人になり切っている。
肌が綺麗すぎる様にも思えたが、見事な演じっぷりだった。


・アルルの地で、ゴーギャンと共同生活をするも、険悪な雰囲気になっていくと言うシーン。
ゴーギャンが、「ゴッホが絵を描いている時は特に、目を合わせない様にしている」と言うセリフの後ろでゴッホが見ている絵は、ゴーギャン作の[アルルの夜のカフェにて]。

これは、ゴッホの[アルルの女]と[夜のカフェ]の2作を組み合わせたとされている作品。

[夜のカフェ]については、後述の【お酒】の項にて述べる事にする。




・後半、[刈り入れ]について細かい描写がある。
晩年、心を病んだゴッホが、耳切事件後に入院したサンレミの病院裏の麦畑を描いたもので、今回の企画展で初来日となった目玉作品のひとつだ。
鎌を持った農夫が、収穫時期を迎えた麦を、炎天下に刈り入れている様子が、ゴッホ特有の絵の具を沢山厚塗り(インパスト)する技法で表現されている。
これは、フランスの印象派の先駆け的存在の画家アドルフ・モンティセリの影響と言われているが、この映像では言及されていなかった。
この映像の中では、光と影の魔術師との異名を持つレンブラントからの影響を、印象強く語っている。
※余談其の一
企画展同時開催中の『西洋版画を視る』の展示会場では、そのレンブラントの版画を見る事が出来る。併せて鑑賞されたし。

この[刈り入れ]と言う作品は、生と死が同時に描かれているが、そこに悲哀は無く、自然のサイクルの中で地球と一体化し永遠となる、と言うのが一般的な解釈だが、後ほど【お酒】の項にて後半部を述べる事にする。


・終盤、サンレミから北部へ移り、[医師ガシェの肖像]について語るシーン。
ゴッホ、死の約1ヶ月前の作品。
描かれているガシェ医師の前には「ジギタリス」が置かれている。
同医師は、癲癇の治療薬としてジギタリスを処方する事でも知られる。
このジギタリスが、黄視症(おうししょう)を引き起こし、黄色を多用した晩年の作品へと繋がるとの見解がよく言われている。
だが、ゴッホがジギタリスを服用したと言う「記録」はなく、また「死の直前」に彼らは初めて会っているので、それ以前から黄色を多用している事も相まって、直接の原因とは断言出来ない。

※余談其のニ
この映像やゴッホとの関係性は低いが、企画展にはポールランソンによる[ジギタリス]も観る事が出来る。
その辺りも絡めてご覧頂くと、またひと味違った感想が持てるかと思う。




【お酒】
フランスに移ってきたゴッホが、テオと住むモンマルトルの家で飲む緑色のアブサン。
アブサンとは、ニガヨモギを主体とした薬草酒で、19世紀のヨーロッパ各国で流行し、20世紀初頭から20世紀終盤頃まで、いくつもの国で禁止されていたお酒。
人々を、身も心も不幸にさせるとみなされた一方で、文化芸能の世界においては、多くの好影響を与えたともされた。禁断のお酒とも霊薬とも言われた背景を持つ魅惑のお酒。
ゴッホも、アブサンの中毒者だったとされている。

字幕では、単に「お酒」となっていたが、セリフでは「アブサン」と言っていた。

アブサンを飲むシーンの直前には、ゴッホ作[アブサングラスと水差し]の絵が差し込まれている。

ロートレックとゴーギャンが、ゴッホにアブサンを教えたと言われている。

ここで飲んでいたのは、緑色をした透明なアブサン。
これをグラスに入れ、アブサンスプーンと呼ばれる蜂の巣状に穴の空いた専用のスプーンに角砂糖を乗せ、グラスのフチの端から端へと渡し置き、手酌でゆっくりとカラフェに入った水を、角砂糖目掛けて当てて溶かしながら注いでいる。
これは、アブサンの飲み方の中で最も一般的とされる飲み方で、砂糖を加え、アブサン1に対し水が3〜5の比率で割ったもの。


アブサンにはいくつかの製造方法があるのだが、貧困の中で身を持ち崩していくこの時のゴッホが飲んでいたのは、おそらくは安い普及品か、もしくはそれ以下の粗悪品。

ここで映る緑色のアブサンは、植物精油(エッセンス)や着色料を、蒸留後に仕上げで添加した物と思われる。
緑色は、ヨモギ類の色素から、あるいは人工の着色料によるもの。
※ここまで鮮やかな緑色の場合は、人工着色料の可能性が高い。

蒸留後に仕上げをするので、一般的には「手の込んだもの」と思われるかも知れないが実はそこは紙一重で、「粗悪なアルコールに手っ取り早く着色料を施した」と言う代物まであったとも言われている。

更に、アブサンは水で割ると乳白色に変色する。ここのシーンでも、その様子を見る事が出来る。
これは、アブサンの中の薬草などの成分が非水溶性の油分を含んでおり、水が加えられ析出し乱反射している為とされている。
姿を隠していた薬草成分が可視化され、アルコール度数が下がった事で味わいを増す。
この、水を加えて白濁すると言う様子も、「神秘的」と捉えられたり「悪魔的」と捉えられたり、解釈を二分する要素でもあると思われる。

これらの点が、この【お酒】の項の序盤に申し上げた、禁断であり霊薬であると言われる所以なのだろう。
またこの緑色からは、「緑の妖精」や「緑の悪魔」などとも呼ばれる。


・話は戻り、【感想など】の項で述べた、[夜のカフェ]について。
ゴッホは、『カフェとは人が身を滅ぼし、狂人になり、罪を犯すような場所』とし、『やわらかいルイ15世緑(翡翠色)とマラカイトグリーン(孔雀石の緑色)、黄緑色とどぎつい青緑とのコントラスト、そして地獄のるつぼのような青白い硫黄』これらを用いて下町の酒場、闇の力をありのままに表現しようとしたと伝えられている。
これはつまり「アブサン」の色であるとする意見があり、私もその様に思う。


・そして、【感想など】の項で前半部を述べた、[刈り入れ]について。
生と死、死が生むもの、について描かれている作品で、鎌を持った農夫が「死」を司る者を意味するとされているが、この農夫は乳白した緑色で描かれているのも興味深い。

先述の通り、これはまたしても「アブサン」の色であり、さしづめここでは「緑の悪魔」もしくは「死神」と言う事であろう。

刈り入れられている麦の様に、アブサンの原料の薬草が刈り入れられ、アルコールと一緒になり、そしてアブサンとなる。
緑色のアブサンが、水を加えられる事で乳白色の液体へと姿を変える。
言い換えると、緑色のアブサンが死んで、乳白色の霊薬へと生まれ変わる。
思えば、アルコールと言うのも、酵母が「死んで」生まれてくる。

そんな自然のサイクルを、アブサンと言うお酒を通して感じる今日この頃である。



最後にもう一度、今回の国立西洋美術館で開催中の企画展、『自然と人のダイアローグ』は、9月11日まで開催されているので、是非とも足を運んで欲しい。
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