レインウォッチャー

軽蔑のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

軽蔑(1963年製作の映画)
4.0
紀元前から愛と言い訳を込めて?

劇作家ポール(M・ピッコリ)は、ある撮影中の映画脚本の修正を依頼される。プロデューサーや監督と話を進めるが、同行していた女優の妻カミーユ(B・バルドー)はどこか不機嫌。気づけば、家庭と仕事いずれにも見逃せない亀裂が広がっていく。

多くの時間が夫妻の対話に割かれる、いわゆる「倦怠夫婦モノ」といえる。
果てなくあけすけなほどブルーな青空と海とに対比を成すごとく、家具や衣装などに配された原色カラー。トリコロールを強く感じるポップな画面と陽光きらびやかな季節の下、繰り広げられるある意味矮小なメロドラマのギャップが人間臭くおもしろい。

愛してる愛してない、
島に行く行かない、
仕事を受ける受けない。

そんなことばかり堂々巡りしながら、男は妻の不機嫌の理由を求めて質問を繰り返すが、女はうんざりした様子でただ曖昧に躱すのみ。
なんでなん?昨日まで普通やったやん…!っていう、このパターンは永遠の男女のすれ違いあるあるとも言えるだろうけれど、渦中の当事者特にメンズはもはや沼につま先と思いきや膝まで突っ込んでることに気が付かないんだよなあ(遠い目)

で、これだけだと観終わったあとにはB・バルドーの美腰美尻しか印象に残らないところなのだけれど(実際国宝級なのですが)(前は見せないところがにくいよね)、今作にはひとつ「仕掛け」がある。

それはホメロスの『オデュッセイア』。
劇中で撮影している映画がまさにこいつの映画化、という設定であり、同時に主人公夫妻の関係の下敷きになっているという寸法だ。

古代ギリシアの叙事詩…なんていうものの、もっとわかりやすく言えば「世界最古のラノベ」だ。
戦争で武功を挙げた勇士オデュッセウス(=ユリシーズ)が、愛妻ペネロペイア(=ペネロペ)の待つ家に帰ろうとするも、途中で海神ポセイダオン(=ネプチューン)の機嫌を損ねてしまい、とことん嫌がらせされて全然帰れない、という話。

とはいえ、彼を応援する女神ヘレネ(※1)の助力もあって、なんとか帰郷。留守中に妻をモノにしようと屋敷に居座っては勝手に連日飲み食いしまくっていた求婚者たちを皆殺しにし、「めでたしめでたし」で物語は終わる。

ポールとカミーユの関係は、ユリシーズとペネロペの現代的変奏といえる。
映画序盤、カミーユは映画プロデューサーの別荘に連れて行かれる。ポールは後から別路で追いかけるのだけれど、途中で事故に遭って遅れてしまい、そのへんからカミーユの不機嫌が表面化する。

これはまさしく、家になかなか帰ら(れ)なかったユリシーズと重なるところ。(※2)
『オデュッセイア』は時代的にも当然超マッチョな世界観で、ユリシーズの道程も基本的には俺TUEEEEな武勇伝として語られるし、最後もパワーで「所有物」としての女を守り、大団円の雰囲気になるわけだ。

しかし、ペネロペとしてはどうだったろう。
彼女は結局ほかの求婚者になびくことはなかったけれど、ユリシーズはもう死んだものと周りの誰より頑なに諦め、彼の帰郷をしばらく信じようとしなかった。夫の無事を喜んだり、武勇伝に感心したりする前に、女の身ひとりで長年放置されて今更どうせいっちゅうねん、というやり場のない感情が大きく育っていたとしても不思議ではないだろう。

そこをカミーユは現代の女性らしくダイレクトに表現している。よく知らないプロデューサー宅へ、夫は何の抵抗も示さないまま連れて行かれた彼女は、まるで自分がモノのように扱われたと感じたのではないだろうか。
もちろん、この件は単なるトリガー、最後の藁に過ぎず、2人の不和は以前から蓄積のあったことがうかがえる。

しかし、一方の男側はそれに気づけず、あまつさえ「仕事を受けるかは君しだい」みたいなことを言う。ちょうど、求婚者たちを殺しまくったのも神の意志であり妻の名誉のため、と、自分のプライドを責任転嫁するような理由付けをしがちなユリシーズみたいに。(※3)

要するに、2人の姿は、ひとつの『オデュッセイア』後日譚でもあるのだ。ハッピーエンドの先であったかもしれない、こんな未来。
『オデュッセイア』は3000年近く前の文学だけれど、結局恋人たちは似たことを繰り返し続けてるのかも(re:遠い目)

ゴダールといえばアンナ・カリーナとの関係があって、今作はバルドーが主演なわけだけれど、劇中では『女と男のいる舗道』のカリーナを彷彿とさせるワカメちゃん黒ウィッグを被らせたりしている。
バルドーのゴージャスなブロンドをわざわざ上書きしてまで見せたこのシーンには、どうしても何か勘ぐってしまうところ。

この映画がカリーナへの謝罪だったのか文句だったのか、その辺の線引きが難しいところがゴダールらしいと思う。ただ確かなのは、それを映画と詩にせずにはいられないひたむきなエネルギーだ。

-----

※1:英国人であるプロデューサーと夫妻の間には常に通訳嬢(かわいい)が入って会話をする。シュールな絵面だけれど、この通訳嬢にはヘレナみを感じてみたりする。

※2:ここで一瞬わざわざネプチューンの像のカットが入るので、確信犯だと思う次第。

※3:風呂から上がったポールのバスタオルの巻き方がギリシャ人風なのはわざとなんだろうか。