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軽蔑のtsuraのレビュー・感想・評価

軽蔑(1963年製作の映画)
3.9
ひさびさにこの地(フィルマークス)に帰ってきた。

レビューを書けていない間に様々な人生において大きなトピックを経ていたからだ。

そのあたりの話はさておき。

この映画から鑑賞再開したにはいくつか理由がある。

ひとつはグッバイゴダール。
だからゴダールの作品に触れずにはいられなかった。

そしてもうひとつはフランス映画である点。

なんせワールドカップ優勝国だもんね!
デシャン監督が作り上げた守備にも脱帽したけどエムバペにグリーズマン、ジルーで組まれた前線にポグバとカンテの鬼の様な中盤それだけでも見る価値有りなのにアルゼンチン戦ではパバールの大会屈指のボレーシュートまで…なんせ見応えあったからフランス映画に辿り着くのに理由はいらないわけで(自分で言いながら意味が分からないが笑)

まあ兎に角その雰囲気に浸りたくて鑑賞。

だけど…そんな浮わついた自分を嘲笑する様な痺れる作品だった。

フリッツラングが撮影を進める歴史大作「オデュッセイア」。
しかし様々な理由を下に映画の練り直しを余儀無くされプロデューサーは新たに脚本家を招聘。

それは劇作家を夢見るポールで美人妻カミーユと他愛もないながらも円満な夫婦を送る事もまた夢見る男であった。

そんな夫婦に微妙な温度差が生まれる。

最初は嫉妬みたいなものから派生する流行り風邪の様な短期的なものと捉えていたが、2人の会話が進めば進むほどに溝が深い、どころかまるで雲泥の差に2人は位置してることに気付いていく…

そのやり取りの意味は無価値さを増していき倦怠期に早くも陥ったまさに男女の違いそのものが丁寧に又は破滅的なロマンスの様にはたまた滑稽なコメディの様に男は呆気に、女は強かに交錯するのがなんともむず痒くて堪らない。

恋愛とは違う、明らかに結婚を経ないと辿れないような男女のすれ違いはそれこそまさにオデュッセイアの中で語られるペーネロペーに言い寄った者への報復とオデュッセウスの長きの漂流が物語る様な虚ろな変化を現代の台詞に置換して作った様な出で立ちである気がする。

"愛の終焉"みたいな宣伝文句もあるみたいだけど…そんな大袈裟なものよりもっと敷居の低い、誰にでも陥りそうな人間味あるドラマとして終始楽しむ事が出来た。

ポールはいつまでも何処か頼りないし、カミーユが見た未来というのも哀しくも滑稽極まりなくて。

そのオチの落としどころとかもわたしには新鮮であった。

男の捨てられ方?なんか見てるとホントに女って恐ろしいと思ってしまった笑
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