KnightsofOdessa

軽蔑のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

軽蔑(1963年製作の映画)
4.5
No.415[ゴダールとカリーナ、ピコリとバルドー] 90点

トリュフォーの『アメリカの夜』に対するゴダールの映画製作映画。ジョルジュ・ドルリューが音楽を担当するとこまで同じだが、トリュフォーが超つまんなそうな映画『パメラを紹介します』の監督に自分を当てたのに対して、ゴダールは大好きなフリッツ・ラングを監督に当てているのはどう見れば良いのか。"私なんぞ監督になんか値せん…"と謙ってるのか、それとも"あのラングも今や若い俺の手中に"という考えもあってのことなのか。

現代なら誰を出す?フランスならヴァルダが死んだ今、ゴダールしか残ってないのか?(あ、ロジエがいたわ)だから、ゴダールさんよ、誰かがこの映画のパロディやって、あんたを監督役に当てるまで死なないでくれよ、多分依頼があっても断ると思うけど。

さて、ドルリューの音楽と自然情景とフリッツ・ラングで私の感情なんぞ簡単に持ってけるのはご存知の通りだが、ゴダールは典型的な夫婦喧嘩の夫サイド言い訳映画である『イタリア旅行』を映画館の背景ポスターにもってくるあたり、"いや~愛とか分っかんね~♪むつかし~い♪"とか言いつつ、自分は悪くないと心では思っている感じが透けて見える。ただ、ロッセリーニはバーグマンのことを"困ったちゃん"みたいに撮ってロッセリーニ本人をあまり映さないことでほぼ誘導尋問な自己擁護を図っていたが、ゴダールは自分をそのまま描いているので一応観る人間に判断は委ねられることにはなっている。まぁ、ゴダールの人間性に問題がありそうなのは彼の映画群からも伝わってくる。

結局、いつものゴダール作品同様、本作品もインテリゲンチヤな会話やら引用やらをたくさん含んでいてよく分からんけど、それで良いのではないか。ゴダールの研究とか死ぬほどされてるし、逐一解析する時間があったら別の映画を見るべきだし、分からんなりに原文ママの好きな台詞があったらそれだけ胸にしまっとけばいいし、などと言い訳しつつ、再見を願ってポチったのでした。もう一回くらい観れば分かるんじゃね。以上。
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