フラハティ

軽蔑のフラハティのレビュー・感想・評価

軽蔑(1963年製作の映画)
3.7
ゴダールが“軽蔑”していたのは一体。


芸術ではなく、大衆としてのものとなっていく映画。
思い通りにならない自分の人生や映画制作とともに、夫婦関係における男女のすれ違いに焦点を当てた本作。

どうして上手くいかないのか?
自分の思い通りに進まない事象に苛立ちを隠せない。
これは本当に自分がやりたいことなのか。
なぜ彼女は何も答えてくれないのか。
なぜ映画は商業主義へと進まざるを得ないのか。


悲観的に進んでいく物語。
すれ違う男女の愛。
相互的な理解が及ばず、どちらも一方的に進んでいく関係。
昨日愛していた彼女は今現在には存在せず、昨日愛されていた自分はまるで手品のように消えてなくなっている。
愛というものは不変ではなく、常に変化を続ける。
それは映画の世界も同じことで、芸術性と大衆性が共存できるなら満足だが、現実ではそうはいかない。
映画の観客たちも変化を続ける。
愛の感情は言葉では伝わりきらないし、映画という感情も映像では伝わりきらない。
そこに自身の無力さを感じる。


映画制作を舞台にしたと聞いたときは、トリュフォーの『アメリカの夜』のような作風に仕上がっているかと思いきや、恋愛に対する男女の価値観の違い及び、ゴダール自身のアンナ・カリーナとの結婚生活の難しさを描いている。
この作風は『勝手にしやがれ』からあまり変わってないねぇ。
ゴダールが影響を受けた溝口やロッセリーニのオマージュがあるし、本作は自伝的な要素を強く感じた。
ラストまで観ると、『勝手にしやがれ』、『軽蔑』、『気狂いピエロ』は一つのテーマとしての繋がりを感じるよう。
1965年にアンナと離婚しているので、この時点で既に亀裂が入っていたことがうかがえる。
主演にアンナではなく、ブリジッドをキャスティングしている時点でね。

『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナの髪型を思わせるかつらをB.B.に被らせたり、裸にさせたり。
つくづくゴダールはめんどくさい男である。
良くも悪くも、前期のゴダールはアンナのおかげで変化を続けられたのかもしれない。
御年88歳にして、未だに新作を作るなど、映画の先端を走り続けるゴダールに感動。
フラハティ

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