脚本家のポールとその妻カミーユ。またも男女のすれ違い。ただ、夫婦を描いたゴダールの作品は初めて観る。
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「私たちは空白の時間を共有して生きていた」
カミーユが何を考えているかわからない。彼女の発言は本心なのか、嘘なのか。多分どちらのときもあっただろうし、カミーユ自身も自分の気持ちを整理しきれずに発言しているところがあると思う。本作はこの異性のわからなさが特に前面に出ていた印象。
『気狂いピエロ』や『女と男のいる舗道』なんかもそうだったが、ゴダールの作品には彼とアンナ・カリーナとの結婚生活が投影されているらしい。本作の場合、ゴダール自身が倦怠期に路頭に迷い、妻のことがよくわからなすぎてつくってしまった映画だという。それにしてはエンディングが酷で笑ってしまうが。
また、男女のすれ違いと並行して描かれるのは、商業性と自分のスタイルの間で揺れる「脚本家としての苦悩」だ。これも監督自身の気持ちを代弁している側面はあるだろうか。本人役のフリッツ・ラングに映画とはなんぞやについて意味ありげなことを語らせているのも面白い(『気狂いピエロ』ではサミュエル・フラーが同様の役回りとして登場)。
ブリジット・バルドーは、期待していたほどのカリスマ性は感じなかった。