軽蔑のネタバレレビュー・内容・結末

「軽蔑」に投稿されたネタバレ・内容・結末


プロコシュ怒りの円盤投げ。
つかれる男&つかれる女
どちらも曖昧でまわりくどくて、打算のために愛を口にしたりしなかったりする。いやそうしたくてもできないのか。

軽蔑し合う恋人同士
を我々は軽蔑する。
のだけれど、それさえも、もしかすると軽蔑されるべきことなのかもしれない。

何を見たのだろう。
商業映画への軽蔑、(商業)映画がそれでもギリシア人と芸術との関係性に憧れることへの軽蔑、つかれる男と女への軽蔑、解釈のない愛への軽蔑。そしてその末路。
つまりそれらは、即物的・直接的な、愛や映画への軽蔑である、といえると思う。

というのも、愛は、現実と想像との両方に宿っている。(実存と物語との?もしくは実存とイメージとの?)
けれどその現実と想像に宿る愛は、それを直接表現することができないから、他者からのそれや他者へのそれを直接見たり感じたりすることもまた不可能なのだった。
だからその現実と想像(あるいは実存と物語/実存とイメージ)とに宿る愛を解釈することによって、その解釈のうちに我々が相互に認識し信じることに足るような第二の愛を存在させようと試みることが必要なのだと、逆説的に提示している。
そしてまた、この愛という言葉は「映画」に置き換えて言うこともできる。
昨日みたアワミュージックもそういう試みの続きだったと言えるかもしれない。

全体的にわたしは自分が何を言ってるのかわかんないし、人には伝わらないだろう。けどこれも解釈のない愛、つまり第二の愛が存在しない状況、を逆説的に否定してるってことにしよ。
わからない。言葉にしてほしい
わからない。何故軽蔑する?
ますます得体の知れない、どこまでも説明のつかない彼女を前に、論理的に考えてはたじろぐ男。
男はただ距離の満ち引きを繰り返すのみ。何となく分かる。

インサート
昔はすべてが共犯の歓びの中で無意識に過ぎていった。

何もかもが異常で魔法のような気軽さと共に起きた自分でも気付かぬうちに腕に抱かれていた

その気軽さが、彼女から消えていった
欲望に燃えても相手を冷静な目で見られるか

内心にある復讐を込めて嘘をついた

今度は私が苦しめる番だ
曖昧な言葉であたしが見たことをほのめかす

見極めるべきだ。

君は僕の反応を見て
自分に都合のいい
態度を決めているかのようだ

何故軽蔑する?

"何も言うことがないの"
妻は部屋やモノ自体ではなくそれらの贈与によって確認される愛に心を動かされていた。しかし、主人公は「あなたを喜ばせる為の嘘」をいつしか鵜呑みにするようになり、金の為に脚本を書くようになった。終に目的であったはずの妻を金との天秤にかけてしまった主人公は軽蔑され、両方を失う仕返しを喰らう。

事故は米国映画の空虚さを批判する暗示だろう。
おしゃれ
おしり
思ったよりさみしい結末
何回か観てだんだん好きになりそう
ゴダールってどんな人なんだろ?
2019.01.01

これは難しかった。
感覚的な所での女性の言ういわゆる「愛していない」をひたすら繰り返している印象。実際「あなたのこともう好きじゃないの、理由は分からないけどね」みたいな事ってよくある話のような気もしてて、それを映画製作と絡めながら表現している気がするのだけど…。やっぱり分からなかった。色使いや音楽、神話のモチーフも意図的に使われている気もしないでもないけど、そこも今ひとつ理解出来なかった。ただ、最後ブリジッド・バルドーを殺すのは、監督が女性経験でよっぽど酷い目に遭ったからなのでは?と少しニヤつくような推測もできる。結局、今作でもそうだけど、男も女もどっちも悪くないんだけれどね。
バザンによれば
映画とは欲望が作る世界の視覚化である
ってレポートで使えそうな一文やな

勝手にしやがれから3年で色がついたけどこんなこなれた色の使い方できる?ふつう(笑)
お尻映画。

叙事詩的に男女のすれ違いを描いていて、台詞も詩的、絵でいえば印象派。
やはりゴダールは天才なんだろう。

でも、胸糞悪い話で生理的に受け付けません。
せっかくの美人もしかめっ面ばかりでつまんないんだもん。
気狂いピエロもこれも、海が出てくる。
この映画における最後の海は、0になった、みたいな感じかしら。
ゴダール四作目。ゴダールは終盤で人を殺すのが癖になっているのか? と思わずにはいられない結末。夫婦のすれ違いを主題にすえた物語だが、これだけで映画を一本作るのは話に起伏が無さすぎて途中で飽きてしまった。夫婦ふたりの言い合いの場面もお洒落に演出されているから作品として成立しているのではあって日本人が同じことをしても間がもたないのでは?
なんでもかんでも悲劇にしようとするのはもう食傷気味だなあ。。。
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