みゅうちょび

愛を複製する女のみゅうちょびのレビュー・感想・評価

愛を複製する女(2010年製作の映画)
2.6
シーンごとに切り取られた美しい映像と独特なテンポ。

愛する者を失って、死ぬことすら考える程の喪失感を味わう時、そこに失った者を蘇らせる方法があったら、自分ならどうするだろうと考えてみたけど…( ་ ⍸ ་ )…

幼い頃から強い心のつながりを感じていたレベッカとトミー。レベッカの両親が東京へ行くことになり2人は別れ別れに。
そして12年後レベッカは一人、嘗て住んでいた海辺の町の家に帰ってくる。再会する2人の間には誰も割り込めない程で2人は何の迷いもなく関係を深めていく。

子供の頃の2人のことは時間をかけて描かれるが、大人になってからは2人が愛を育む姿はまるっと割愛。そして、トミーがあまりに呆気なく死んでしまうため、観ているこちらはトミーの死を悲しむ術がなかった。レベッカの孤独感は、海辺の寒々とした風景に託され、トミーが嫌っていた施設を利用してトミーのクローンを産む決意をすると言う流れにも共感できず、彼女が自分が産んだトミーを溺愛し、周囲と孤立して育てて行く様子を見て、彼女は自分の子供でもあるトミーに何を期待しているのかと考えると、余計に彼女に共感できず。。。

考えればわかることではないかと思ったけれど、レベッカが愛したトミーは、父と母の愛の結晶として産まれ、その父と母に愛され育てられたという全く異なる環境がある。そこにはレベッカの存在はなく、だからこそ異質な存在であるレベッカと出逢い、そこに別の愛が生まれたのだ。

最初からレベッカという存在があり、しかもトミーは彼女を母親としか思ってはいない。

トミーのクローンを産んでかれを蘇らせると言ったレベッカだが、そんなことが可能なはずもないのだ。

最後のトミーとレベッカは、何を感じたのだろうか。

とても悲しい話ではあるものの、非常に不快であるのも事実。

終始海を間近に生活するレベッカとこの原題「子宮」。レベッカの子宮はトミーにとっては、この寒々とした海以外の何者でもなく、実の母の暖かく安心できる場所とは似て非なるものだったのかもしれない。子供が必要なのは母の愛であり、それはやはりレベッカが彼に与えたものとも似て非なるものだったのではないだろうか。

淡々としてはいるけれど、いったいどうなって行くのか、不快な物見たさでなんとなく見てしまう。

決して好きになれる作品ではなかった。

エヴァ・グリーンがいつまでも若く、気味が悪かった。
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