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ヒメアノ〜ルのCOZY922のレビュー・感想・評価

ヒメアノ〜ル(2016年製作の映画)
4.1
観るまで全く知らなかったのだが、「ヒメアノ〜ル」とは ”ヒメトカゲ” のことで、体長10cmほどで猛禽類のエサにもなる小型爬虫類だそうだ。つまり強者の餌となる弱者を意味する。そう言われてみればタイトルの 〜 は トカゲだった。サイコパスと化してしまった森田の、ラストシーンでの逆光に浮かぶ表情は 殺人犯なのに何故か幼い子供のような無垢さを纏って見えた。ヒメアノ〜ルの意味は、ラストの森田の表情に遣り切れなさを感じながら映画の余韻に浸っていた私の感情を刺激し、切なさを増幅させた。泣かせる映画ではないはずなのに泣いてしまった、、。

ニュースでしばしば目にする「いじめ」問題。いじめを受けた子が耐えられずに自殺したり、思い余って逆に いじめた子に復讐したり。たとえ辛い期間を乗り切れたとしても心に受けた傷が消えるわけじゃない。一生消えることのない記憶はその後の人格形成に大きな影響を及ぼすだろう。イジメはその時だけでなくその後の人生も変えてしまうのだ。

もしも岡田があの時 友を裏切らなければ。もしも誰か1人でも森田の気持ちに寄り添う人がいたら。森田の心が壊れることは無かったのではないだろうか・・。そんな思いがよぎる。

感情に大きな振れ幅をもたらした本作、構成や演出も私には衝撃的だった。特に森田による撲殺シーンの映像&音が、岡田とユカのセックスシーンの映像&音と交互に挿し込まれ、韻を踏むかのように描写される場面。逝く瞬間とイク瞬間まで重ねられたそのシーンを観て、監督の本気度と狂気のセンスを感じた。

このシーンに限らず、本作は対比の美学を地で行くような描写が徹底して行われる。いじめる者といじめられる者、捕食者と被食者、日常と狂気、コメディ要素とホラーサスペンス要素、踏みとどまった者と壊れた者・・。中盤にオープニングタイトルが忽然と現れる作りも、前半と後半を対比させ転調させながら 心象的にはシームレスに繋ぐ効果を与えていて素晴らしいと思う。

ヒメアノ〜ル。自然界で捕食者と被食者がいるのは当然の摂理である。だが、それは種の違いと食物連鎖によるものだ。それが人間という同種の中において見られる現象になってしまったのだとしたら、人間はむしろ原始化しつつあるのではないだろうか?

森田の最後の表情が忘れられない。
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